古田会計事務所

〒640-8392 和歌山市中之島303-14 OK.OFFICE

お気軽にお電話ください

TEL.073-474-2212

わかやま新報様にブランディングセミナーを取り上げて頂きました!

その他お知らせ


 
8月30日発行の「わかやま新報」様にトルネードブランディングセミナー(詳しくはコチラ)について、大きく掲載して頂きました!
 
ブランディングセミナーは9月19日から第1回開催となっております!
残り席がわずかとなっておりますので、ご興味のある方は是非ご連絡ください!
 
また、わかやま新報様のホームページ(コチラ)にも掲載して頂けております!
 
取り上げて頂きありがとうございます!
 
トルネードブランディングセミナーで、自社のブランド力の向上をし和歌山を盛り上げていきましょう!
 
お問合せ Tel.073-472-6336 担当:田中

今週の考える言葉「自己革新」

考える言葉

自己革新

   ”考える言葉”シリーズで、過去において何度となく取り上げたテーマの一つに“自己革新”がある。今回は、トップの“自己革新”について考えてみたい。
 
   ある企業コンサルタントの一言、「会社は良くも悪くもトップ次第です・・・」。どんな赤字の会社でも、トップが変われば一年もしないうちに黒字転換できるし、見違えるほどの成長軌道に乗せることができるのだという。
 
   小生も仕事を通して、多くの中小企業経営者とお付き合いさせて頂いているが、確かに「良くも悪くも、トップ次第だな・・・」と思うことが多い。経営革新を断行するとき、先ずは、トップの“自己革新“からスタートしなければ、何ら効果が生じないことが多いのである。
 
   だが、これはなかなか難しい課題である。なぜならば、人材や資金不足等を嘆くが、多くの経営者は、自分自身の経営手腕そのものに業績不振の原因があると思っていないからである。「やるべきことは沢山あるのに、人材不足だ」と嘆く。
 
   そこで、いくつかの質問を投げかけてみる。
 
   ① 経営理念や人材ヴィジョンは明確になっていますか?
   ② 5 年後、10 年後の会社のヴィジョンは明確になっていますか?
   ③ 社長自身がやるべきこと、やるべきでないことは明確に区分できていますか?
   ④ すべての責任を取る覚悟はできていますか?
   ⑤ 後継者の育成は万全ですか?
   ⑥ 自らの引き際は明確にしていますか?
   ⑦ 現場を掌握する仕組みはできていますか?
 
   トップの姿勢として、外にも問うべきことはあると思うが、以上のことについても具体的な答えを頂けることは意外と少ないのである。
 
   昔から、「他人と過去は変えられない」という言葉があるように、トップ自らが率先して“自己革新”をしなければ、組織も社員も変えることは難しいのである。
 
   「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ」(山本五十六)という有名な言葉があるように、トップの姿勢や考え方そして行動にすべてが委ねられていると思って“自己革新”をするしかない。
 
   “自己革新”とは、あるべき姿(新し自分)と現状(古い自分)との差を認識し、その差を埋める戦い、すなわち自分との戦いである。
 
   自らの価値観(思考の枠組み)を変え、行動を変える戦いなのである。それゆえに、先ずは、トップの“自己革新”、覚悟が求められるのである。
 

今週の考える言葉「片づけ」

考える言葉

片づけ

   幼少の頃の躾で最も大切なことの一つに、“片づけ”の習慣があげられる。
 
   確かに、「遊んだ後は、ちゃんと“片づけ”なさい」と母親からいわれた記憶がある。
 
   最近も、お母さんたちが子供たちに、そんな注意をしているのをよく耳にする。だが、大人になると、その“片づけ”の習慣がちゃんと身についている人とそうでない人とに、はっきりと分かれているような気がする。
 
   ひと頃、『5S活動(整理・整頓・清掃・清潔・躾)』というのが流行ったのは記憶に新しい。弊社においても、コンサルタントにお願いし、取り組んだ時期がある。確か、5Sの責任者まで決めて職場ぐるみで実施したが、どうだろうか?その活動の成果はどうだったのか・・・。問題意識のレベルが低かったような気がする。
 
   『トヨタの片づけ』(OJT ソリューションズ/中経出版)という本がある。その本の中に、「“片づけ”は雑務ではない。仕事そのものである」という一節がある。何のために“片づけ”をするのか?
 
   ① 作業や時間のムダを省く
   ② 乱雑さから発生するミスなどを省く
   ③ 仕事の効率化を推進する
 
   「生産性の向上」という経営課題に取り組むための手段として、“片づけ”に全社で取り組んでいるというスタンスが素晴らしい。
 
   「歳をとると、何事も面倒くさくなる・・・」というある人の一言で、「面倒くさいと感じたら歳をとった証拠だ」と思うようにして、心掛けてやり出したのが“片づけ”である。日常的などんな事でもいい。朝起きて着替えたら、パジャマをたたむ。ご飯を食べ終えたら、すぐに茶碗を洗う。使い終わったものは、元に戻すなど・・・。
 
   大切なことは、やり続けて習慣化することだ。完了感をいつも味合うことができて、頭の中がすっきりと片づいて、気持ちの切り替えができて、次の仕事への転換がスムーズにいく。そして、心の余裕ができるから不思議だ。
 
   ここまで書いていて、ふっと気になったことがある。ずっと前から、机の下の置きっ放しになっている段ボール・・・。整理棚の中の、一年以上も触れていない過去の書類関係など・・・。片づけの第一歩は捨てることから始まるという名言。それから、最近気になるのがメールやラインの量が多すぎて、返信が遅れがちになっていること。これも、さっさと“片づけ”をしないと、相手に対して失礼になると思いつつ・・・。
 
   “片づけ”は、生産性の向上(仕事の質化・効率化)につながるし、人間関係の良否に関わる大切な仕事である。
 

今週の考える言葉「配慮」

考える言葉

配慮

   先週末(8 月3~4 日)、NBM(第17 期⑥)最終講が終えたばかりである。NN構想の会に参加している会計事務所を中心に声かけをし、新ビジネスモデルの共同研究を行っている勉強会である。
 
   未来会計を事業化するために必要なビジネスモデルの習得、組織体制のつくり方、そして営業展開の手法などについて、グループ討議を通して一年間で学んでもらう内容になっている。2003 年にスタートして、もう17 年が経つ。
 
   同業者が一同に会し、意見を交換し合いながら、自社の成長戦略を描く機会をもてる場は滅多に得られるものではない。グループ討議のテーマは、予め質問形式で準備されているので問題ないのだが、その運営のあり方に課題が残るそれは何か?メンバー相互の“配慮”の力量であろう・・・・・。
 
   というのは、一グループが7~8 名のメンバーで構成され、グループごとに2 日間協議をするので、お互いの意見を交換し合い、衆知を集めるためのいい機会になるはずだが、ほとんど自分の意見を言わない人がいるかと思えば、独壇場で喋りすぎる人もいる。いずれも“配慮”のなさであろう。“配慮”とは、心づかい、気づかい、心配りである。つまり、他人や他の事のために気をつかうことである。
 
   今後、AIに取って代わられる職業がたくさん出てくるといわれている。それは時代の流れであって、避けて通れないことであろう。でも、どんな職業であろうと、AIに丸投げというわけにはいかないような気がする。
 
   それは、“配慮”という行為ではないだろうか。“配慮”は人間にしかできない究極のマナーではないだろうか。AIに向かって、「おまえは配慮が足りなすぎる!」と嘆いてみてもしょうがないだろう。
 
   職業柄、多くの経営者の方々にお会いする機会があるが、優れた経営者は得てして“配慮”の達人が多い・・・。ちょっとした気配りをさり気なくするあたりは、流石としかいいようがない。その行為に全く嫌味がないのである。
 
   NBMも期を重ねるごとに、若い会計人の参加者が増えてきているが、場の盛り上がりが良くなってきているような気がする。学ぶ姿勢が良いのはもちろんであるが、参加者の“配慮”のレベルが、年々、高くなってきているような気がする。
 
   “配慮”の度合いとは、人や物事に対する関心の高さと比例しているような気がする。
 
   優れた経営者に配慮の達人が多いのも、自らの経営に対する関心(=思いの強さ)の高さであろう。また、場の空気を読める人でもある。
 
   AT化等が進むに連れ、“配慮”が仕事における成果のキーワードになりつつある。
 

8月の税務カレンダー

税務カレンダー


 
夏期休暇:8月10日(金) ~ 15日(水)
16日から通常営業です。

今週の考える言葉「職業の道楽化」

考える言葉

職業の道楽化

   最近、書棚を整理していると、かつて読んだ良書に出逢うことが多い。『本多静六人生計画の立て方』(本多静六 著)も、その中の一つである。
 
   本多静六博士(1866~1952 年)は、林学博士、造園家、株式投資家で、日本の「公園の父」という略歴の紹介があるが、氏の人生哲学に基づいた『人生計画の立て方』は、感銘に値するほどに素晴らしい。また、とても65 年以上も前に書かれたものと思えないほど、斬新で、普遍性がある。
 
   「人生即努力、努力即幸福」という人生観に基づいた『人生計画の立て方』は、理に適っており、「計画は向上を意味し、努力を意味するもの」であり、人生コースの四分法(教練期、勤労期、奉仕期、楽老期)は、長期的な視野に立った計画目標と計画方法の描き方が明確となり、参考になる。
 
   生き方としては、やはり決めたこと(計画したこと)は「焦らず、休まず、怠らず」で、やり続ける意志力を培うことの必要性を説いていると思う。
 
   これに関連してだと思うが、この本の「我等いかに生くべきか」という章で、“職業の道楽化”について述べている箇所がある。
 
   「好きこそ物の上手なれ」という言葉があるように、実際何事でも好きになるまで努力すれば、自然とそれが必ず上手になれるものであって、努力はついにその人を天才にし、名人にまですると、いう。
 
   まさに、同感である。私たちも普段から、新人研修などを行うとき、「仕事は嫌々していたのでは、いつまでも上達しないぞ。何でも与えられた仕事は、好きになれるように創意工夫が必要だ・・・」と諭している。
 
   氏は、「不慣れな仕事でも、これを天職と確信し、これを命運と甘受し、迷わず、疑わず、最善を尽くして努力するならば、初めの間こそ多少の苦痛は伴っても、いつとはなしその仕事に慣れ、自分もそれに適応するようになって、能率も上がり、成績もよくなり、自然とその仕事に趣味も生じてくる。ついにはそれが面白くてたまらなくなるところまで展開される・・・」
 
   つまり、“職業の道楽化”が達せられたわけで、「あとは全く人と職業とが一体化せられて、その大成功は求めずとも必ず向こうからやってくるのである」という。
 
   “職業の道楽化”とは、実に面白い表現であるが、働くことを価値化するための唯一手段となり得る考え方だ。
 
   「熱心は工夫を生む母となり、努力はまた趣味を生じる父」となる。みんなで、“職業の道楽化”を図ると、日本の生産性は間違いなく向上すると確信する。
 

今週の考える言葉「理念を語る」

考える言葉

理念を語る

   IG後継者育成塾・第5 期生の卒業式が無事終了した(7 月20~21 日)。2008 年9月に第1 期がスタートして、10 年の歳月を経たことになる。
 
   当塾の恒例であるが、卒業する塾生一人ひとりが二年間で学んだ成果をビジョンに込めて、駈けつけてくれた現社長たちの前で、発表するセレモニーがある。少しの緊張と同時に、感慨深い想いが胸に込みあがってくる瞬間でもある。
 
   “後継者塾”の主たる目的は、世代交代期の経営者に求められる「自己革新力」の習得だ。つまり、あらゆる変化に敏で、何故を問うイノベーション力と周囲を巻き込む強力なリーダーシップ力の育成である。
 
   10 年前と比べると、さらに自己変革、イノベーションの重要性が痛切に問われているような気がする。
 
   そんな時代の背景もあってか、今回の発表における内容は、自社あるいは自らの“理念を語る”塾生の姿勢が、強く印象に残った。何を学ぶべきかを、十分に理解したうえで2 年間付き合ってくれていたのだと嬉しく思った。
 
   自己革新を推し進めようとするとき、大切なのはいうまでもなく、ブレない軸の置き方である。その軸とは、まさに理念であり、その人の生き様だ、と考える。小手先のテクニックでかわせるような安直な時代ではない、という健全な危機意識を持ってくれているのであろう。
 
   だが、“理念を語る”ということは、決して生易しいことではない・・・。覚悟が必要だ。崇高な内容であればあるほど、周囲への影響力なども考えると責任が伴う。そのプレッシャー堪えるためには、何が必要なのだろうか?
 
   それは一言でいうと、自尊心であろう。自尊心とは自分を信じる力であり、自らの可能性へのチャレンジ精神である。そして、それは他人を信じることにつながるものだ。
 
   ニーチェの言葉に、つぎのようなものがある。
 
   「自分をたいしたことがない人間だなんて思ってはならない。それは、自分の行動や考え方をがんじがらめに縛ってしまうようなことだからだ。そうではなく、最初に自分を尊敬することから始めよう。まだ何もしていない自分を、まだ実績のない自分を、“人間として”尊敬するんだ・・・」
 
   “理念を語る”ことは、365 日の生き様だ(渡辺美樹氏)。後継者としての自覚が生まれ、その道を一歩踏み出す覚悟が生まれたことだと思う。
 
   素晴らしい発表をしてくれた塾生と見守ってくれた現社長に心から感謝に意を表したい。さて、IG後継者育成塾・第6 期(9 月)がスタートします。ぜひ、ご参加を!
 

今週の考える言葉「まさか」

考える言葉

まさか

   まだ、携帯電話がなかった頃だが、渋谷のハチ公前で待合わせ。時間が過ぎても待ち人現れず・・・。“まさか”事故にでも巻き込まれたのでは・・・?(携帯が普及した今日では、考えられない“まさか”である)
 
   では最近、思い当たる“まさか”・・・。
 
   自然災害(地震、水害、がけ崩れなど)、交通事故(居眠り運転など)、病気(とくに、癌にかかる)、受験や資格の結果、人の裏切り、仕事上のケアレス・ミス等々・・・・・。
 
   “まさか”とは、「予期しない事態が目の前に迫っていること」「どう考えても、そのような事態は起こりそうもないと予想する気持ち」のことをいう。いわゆる、想定外のことをいう。
 
   ある本を読んでいると、次の一節に出くわす・・・。
 
   「人生をなめてはいけない!人生の至る所に落とし穴がある。“まさか”は誰にでも、いつ何時でも起こり得る。それが人生の現実である」
 
   全く、同感だ。
 
   思うに、2500 年前、お釈迦様は人生の本質は苦(四苦八苦)だと悟り、一寸先がどうなるかわからないという未来への不安の苦しみ、それから万事自分の思うようにならないという不満の悩み・・・。その人生をいかに生きるかを説かれたのだと思う。
 
   また、孫子は乱世の時代を生き抜く知恵を「兵法書」としてまとめたが、「兵は国の大事にして、死生の地、存亡の道なり」「彼を知り己を知れば、百戦して殆からず」という有名な言葉を残し、万事に備え、隙を見せないことの重要性を説いた。
 
   順風満帆・・・。人間は、上手くいっているとき、絶好調のときに失敗の原因をつくってしまうということが、よく言われる。何故だろうか・・・?恐らく、過信して、慢心(煩悩)に陥っているのだと思う。
 
   慢心とは、驕り高ぶることであり、つまり、思い上がり。自分の実力以上にできると思ってしまうことである。自分の足元が見えなくなり、周囲との関係性まで疎かにしてしまうことである。
 
   この世は無常・・・。すべてのものは移りゆくものである。自己革新を怠らず、精進することを一時たりとも忘れてはならない。 “まさか”はいつ何時でも起こり得るものだ。
 
   偶然ではなく選択に基づいた経営を、怠慢ではなく計画に基づいた経営をやろうと、心に決めることが大事だと思う。
 
   羽生義治棋士は、結果を出し続けるためには、「実績とは、常にリセットするもの」と語っている。“まさか”への備えを徹底しようと思う。
 

今週の考える言葉「人手不足」

考える言葉

人手不足

   「人手不足 欧米でも壁」(日経新聞7月8 日)という記事が目についた。
 
   世界の最先端を走る日本の少子高齢化がどこへ向かうのか、あとを追う世界の先進諸国が固唾をのんで見守っているといわれてきたが、その一つの現象としての“人手不足”は、欧米でも壁となりつつあるという。
 
   先進国で失業率が下がっているのに、賃金が上がらない。その背景にあるのが、“人手不足”が足かせとなって経済の活力が落ちる供給側の要因だという。つまり、企業は成長への期待を失えば、賃金を上げるのをためらうのだという。
 
   かつて日本にも高度経済成長期(1954~1973 年)というのがあり、世界に衝撃を与え、その後発展途上地域の経済発展のモデルともなったこともあったが、そのときの賃金上昇には凄まじいものがあった・・・・。やはり、企業の成長への期待が大きかったのであろう。
 
   “人手不足”の解消方法として、よく次の二つのことがいわれる。
 
   一つは、高齢者の活用だ。ただ、停年退職後、年金生活をしている人は短時間労働を選ぶ傾向にあるという。
 
   そういう人は、時給が上がると、労働時間を短縮してムリなく働きたいという。
 
   もう一つは、移民の受け入れだ。
 
   だが、移民には賃金を下げる面もあるという。
 
   このように考えると、“人手不足”という問題を、その問題を抱える企業側の都合だけで解決しようとしても根本的な解決に結びつかないということが容易に理解できると考える。
 
   真に“人手不足”を解消しようと思うのならば、先ずは企業自らの人材ヴィジョンを明確にしておく必要がある。
 
   生産的で、働きがいのある職場とはどんな職場なのか?そんな職場を実現するには、どんな価値観をもった人材が必要なのか?高齢者であろうと移民であろうと働く目的、つまり「何ために働くのか?」という問いに応えられるような、人材育成の場や機会を提供する必要があると考える。
 
   私が知るかぎり、世の中から必要とされる人は、生涯現役で仕事をし続けることができる人である。また、仕事をしている以上は生涯において成長し続けることができる人だともいえる。
 
   働き方改革ということがさかんに言われているが、“人手不足”の根本的な改革は働く人の意識改革なくして成し得ないことだと考える。
 

今週の考える言葉「誉める」

考える言葉

誉める

   自ら経営をして、34 年になる。やはり、経営で一番難しい課題は人をどうあつかうかではないだろうか・・・。
 
   昔から、人材育成論に「“誉める”育て方と“叱る”育て方どちらがいいのだろうか?」という課題がある。その優劣を決める前に、経験上、叱るのは簡単だが、“誉める”のは難しいと感じている人が多いのではないだろうか・・・。
 
   何故だろう?上司が部下を見るとき、どちらかというと、欠点や悪いところのほうへ、長所や良いところよりも、目につきやすいからだ。
 
   それに、上司が部下を変えたいと思うときは、その人の言動に悩まされているときである。だから、会話がいきなり問題に対する注意から始まる。相手からすると批判されることから始まる。
 
   では、相手の反応はどうだろう?
 
   “誉める”と、必ず笑顔が戻ってくることが多い。笑顔はポジティブな雰囲気をつくり出す。お互いの共感性は高まり、場のモチベーションが高まっていくことは間違いない。では“叱る”と、どうだろう?相手は顔をこわばらせ、沈黙してしまう。口に出さないまでも、目が睨んでいる。ネガティブな雰囲気が漂い、反感だけが残り、やる気が失せてしまうことになるだろう。
 
   こう考えてみると、“叱る”より“誉める”ことの方が、効用的にずっと大きいのは明らかなのだが、なぜ“誉める”ことに専念できないのだろうか?
 
   よく聞くのが、「“誉める”とすぐに図に乗る」という言葉がある。確かにそんな傾向の人もいるが、単におだて上げるのではなく、“誉める”という行為にはそれなりの努力が必要だし、ルールがあるような気がする。
 
   人は誰にも、良いところがあれば悪いところもある。できるだけ人の良いところに目がいくように、日頃から意識して、訓練しておく必要があるだろう。
 
   特に、怒りぽい経営者は意識して訓練した方がよい。なぜなら、“誉める”ことによって生じる場の共感性は、業績の向上と極めて連動しているという研究レポートがあるという。
 
   それから、おだてる行為と“誉める”行為は、本質的に違う。“誉める”行為は相手に対する敬意の表現であり、良いところをさらに伸ばしてもらいたいという成長への期待である。
 
   人を“誉める”という行為は、正直で、心からの言葉でなければならない。自らの価値観のレベルを高めることで、真に“誉める”という行為が身につくのであろう。
 

1 36 37 38 39 40 56