古田会計事務所

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今週の考える言葉「コロナ格差」

考える言葉

コロナ格差

   『週刊朝日』(12・25号)を読んでいると、“コロナ格差”が生じているという。特に、「教育格差」がコロナ禍で増幅し、止まらないという。
 
   その一つの要因に、親の所得格差にある。休校中、いままでなら学校がカバーしていた家庭環境の差がもろに出て、学力の差がどんどん広がっているそうだ。
 
   共稼ぎの家庭では勉強を見てくれる人がいない、なかには保護者が休業や失業で仕事を失い、夫婦げんかが絶えず、ゲーム漬けになったりしている子もいるという。従来の格差や貧困をコロナがあぶり出し、増幅した形だ。
 
   また、年収400万円未満の世帯では、3割余りがパソコンやタブレット端末を持っていないそうで、「オンライン教育」もできない状況にあるという。
 
   もちろん、行政も手をこまねいているわけではないだろう。また、NPO法人等のボランティア活動も盛んであるが、“コロナ格差”への決め手になっていないようだ・・・。
 
   “コロナ格差”は、教育の現場だけの話ではない。仕事の現場においても、その懸念はあると思う。
 
   在宅勤務が取り沙汰されているようだが、職場のように仕事に適した環境を期待するのは難しいと思うし、在宅勤務が長引くようであれば、自律性をもっている人とそうでない人では、かなり生産性に影響が生じるのではないか・・・。
 
   しかしここは一つ、自律性を養ういい機会だと考えたらどうだろうか。
 
   自律性とは、まさに「自分を律する」こと。つまり、言われたことを言われたとおりにやるだけではなく、自分で考え、自分で自分を管理して仕事を進めることである。その自律性を養うために大切なことは、自分なりのキャリア形成プランや成長戦略を持てているかどうか。
 
   そして、その前提となるのが目的意識である。「人生の目的とは何か?」「仕事は何のためにあるか?」など、物事の本質を考え、自律性を高めるいい機会である。天から授かった有難い時間だと思い、大事にしたいと思う。
 
   「20世紀は、科学万能の知識社会で物質的な豊かさを享受した時代であった。そして、21世紀は心の豊かさを中心にした価値創造の時代になる」と、多くの識者が予期している。
 
   “コロナ格差”は、依存心が強い、自らの怠慢が原因であると考えたい。そして、真の自律性を確立し、創意工夫を持って自分の大切な時間の過ごし方を考えてみたいと思う。
 
 そのためにも、『IG式目標管理』を徹底したいと思う。
 

【年末調整】寡婦控除の見直し・ひとり親控除の創設

その他お知らせ

令和2年より、寡婦控除の見直し及びひとり親控除の創設がされました。
年末調整で新に変更になっておりますので、ご紹介いたします。
 
◆ 令和1年までの寡婦控除
 
・夫と死別し、若しくは離婚した後婚姻をしていない人、又は夫の生死が明らかでない一定の人
・扶養親族がいる人又は生計を一にする子がいる人
(総所得金額等が38万円以下で、他の人の同一生計配偶者や扶養親族となっていない人に限る)
・夫と死別した後婚姻をしていない人又は夫の生死が明らかでない一定の人で、合計所得金額が500万円以下この場合は、扶養親族などの要件はなし
 
 
◆ 令和2年からの寡婦控除・ひとり親控除について
 
〇 ひとり親控除の条件
下記の条件に全て該当すると「ひとり親控除」の対象になり、35万円の控除が受けられます。
12月31日の現況で、婚姻をしていないこと又は配偶者の生死の明らかでない一定の人
(1) その人と事実上婚姻関係と同様の事情にあると認められる一定の人がいないこと
(2) 生計を一にする子がいること
※子とは、その年分の総所得金額等が48万円以下で、他の人の同一生計配偶者や扶養親族になっていない人に限る
(3) 合計所得金額が500万円以下であること。
 
〇 寡婦控除の条件
下記の条件に(1)と(2)もしくは(1)と(3)に該当すると「寡婦控除」の対象になり、27万円の控除が受けられます。
12月31日の現況で、婚姻をしていないこと又は配偶者の生死の明らかでない一定の人
(1) 女性であること
(2) 夫と離婚した後婚姻をしておらず、扶養親族がいる人(合計所得金額が500万円以下の人)
(3) 夫と死別した後婚姻をしていない人又は夫の生死が明らかでない一定の人(合計所得金額が500万円以下の人)、扶養親族の要件は不要


 
上記の「ひとり親控除」及び「寡婦控除」についての簡易フローチャートになります。

今週の考える言葉「波」

考える言葉


   “波”に乗るという表現がある・・・。「時勢に合って栄える。時流に乗る。また、調子に乗る」などの意味合いである。
 
   成功した人の話の中で、「時代の“波”に乗って、とんとん拍子にうまくいった」ということをよく耳にすることがある。小さい頃、海で遊んでいたとき、“波”に流されたり、戻されたりした経験があるので、その速さたるや肌で感じることができる。
 
   では、“波”に乗って、大きな成功を勝ち得る人ってどんな人だろうか?まずは、時代の“波”をとらえるセンスを持っているかどうか。
 
   経営者は大局観を持つべきであるといわれる。大局観を持つということは表面的な事象にとらわれることなく、その現象をもたらしている本質を見抜くことでもあるのだが、「時代の“波”」をとらえることが上手い人であるといえよう。
 
   例えば、「景気循環論」の考え方がある。そして、その景気循環の“波”は大きく分けて次の4つの種類があるという。
   ①キチンの“波” (在庫に着目した約40ヶ月周期の波)
   ②ジュグラーの“波” (約10年周期の設備投資に着目した波)
   ③コンドラチェフの“波” (約20年周期の建設投資に着目した波)
   ④クズネッツの“波” (約50年周期の技術革新に着目した波)
 
   それぞれの景気循環の“波”が複雑に重なりながら、景気をつくっていると言われいているが、こういう“波”があるということを知っているのと知らないとでは「時代の“波”」をとらえるタイミングなどが当然違ってくると思える。
 
   次には、「時代の“波”」をとらえたあとの対処の仕方であろう。つまり、今起きている“波”が自分のビジネスの成否にどのような影響を与えるのかを見極めるセンスだと思う。
 
   マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏は、IBMからOSソフトの開発依頼を受けたとき、「やがて個人一人ひとりがパソコンを持つ時代が来るだろう」直感したという。そこで、IBMと交渉して「OSソフトをIBM以外にも提供できる」という内容の契約を勝ち取ったという。ゲイツ氏は、IBMからの依頼という「小さなさざ“波”」から、その後の大きな“波”がくることを確信したに違いない。
 
   このように大きな“波”を予見し、その“波”が来たとき、自社はどうあるべきか、対処すべきかを考えるセンスを磨いておく必要がある。
 
   そのためには、未来会計(管理会計)を経営に活かし、戦略的思考を磨き、未来を見通す力を身につけたいと思う。
 

今週の考える言葉「グッドルーザー」

考える言葉

グッドルーザー

   “グッドルーザー(good loser)”とは、負けっぷりのいい人、「よき敗者」のことをいうそうだ。
 
   朝日新聞の『日曜に想う』に『「よき敗者」が担う役割とは』という論説があった。
 
   この論説では、米大統領選挙における「敗北宣言」の伝統を、その事例として挙げてある。恐らく、いまや負けたはずの大統領が結果を認めない事態が続いているアメリカの今後を懸念してのことであろう。このままでは、政権が移行されても民主主義のこうむる痛手は深いと・・・。長丁場の大統領選は、「民主主義の祭り」の様相を見せるが同時に、皮肉にも祭りのたびに社会は二分された戦いとなる。
 
   ゆえに敗者は勝者を祝福し、勝者は敗者をたたえて、溝を埋める意志を示し合うのが、きれいごとに見えても祭りの終わり方だったという。その良き伝統を壊すような態度を取り続けるトランプ氏の意図はどこにあるのだろうか・・・。
 
   ここまで書いているうちに、「敗軍の将は、兵を語らず」(『史記』)という言葉が頭に浮かんだ。「戦いに敗れた将軍は武勇について語ることはできない。転じて、失敗した者はその事について意見を述べる資格はない」という意味だ。
 
   経営者など組織の上に立つ人たちにとって、“グッドルーザー”の心得は身につけるべき重要な教えだと考える。
 
   “グッドルーザー”を演じることによって、次の二つの効用が期待できる。
 
   一つは、戦いによって生じた分断を「統合」に導くことができる。負けっぷりの良さが、場の共感を生み出し、差異を認め合う復元力を生み出すことが期待できる。
 
   もう一つは、新たなチャレンジの機会を得ることができる。「敗れたこと」に対して言い訳をせず、真摯に自己と向き合うことによって、自分自身の慢心さや傲慢さに気づかされて、自己革新の必要性を感じ、新たなチャレンジへの意欲が湧いてくる。
 
   今やパラダイムシフトの時代だ。変革と挑戦をやり続けるなかで、成功と失敗は表裏一体だと思う。いづれにしても、結果から何を学びとるかである。そして、「人間としていかにあるべきか」を見直す機会を怠らないようにしたい。
   「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし」(平家物語)。
 

今週の考える言葉「未来進行形」

考える言葉

未来進行形

   今、『アメーバ経営』(稲盛和夫 著)を改めて熟読させてもらっている。
 
   その中に、「能力を“未来進行形”でとらえる」というテーマがあり、稲盛さんらしい考え方だと思ったので紹介したい。
 
   京セラを創業して間もない頃で、稲盛さん自らが何とか受注を増やしたいという一心で客先へ売り込みに行っていた・・・。その頃の京セラは無名の零細企業だったから、大手が断った難しい、面倒な製品の依頼しかなかったらしい。
 
   難しい、面倒だからといって、それを断ったら、会社はやっていけない。そこで、稲盛さんは、たとえその時点の技術ではできない製品でも「できます」と言って受注をしてきたのだという。
 
   当然、会社に帰り、技術者たちに話をすると、決まって「とても無理ですよ」と言い出す者が出てきて、みんながやる気を失いかけることもあったらしい。
 
   そのとき稲盛さんは「できると嘘をついてきた注文でも、決して嘘にはしたくない。懸命に努力して完成させれば、嘘をついたことにはならないのだ。納期まで必死に頑張り、製品を完成させよう」と説いたそうだ。
 
   今の時点で、どんな難しい仕事であっても、自分たちの能力を“未来進行形”でとらえてチャレンジし、誰にも負けない努力をすれば、何とかなるものである。京セラは、そうやって大きな飛躍を遂げてきたのだと思う。
 
   思うに、小生にも、ささやかながら“未来進行形”の仕事が多々あった。
 
   20代の駆け出しの税理士だった頃、お客様ところへ訪問して、税務会計の監査や決算業務をしてたのであるが、一通り仕事が終わると社長に報告を行い、最後に一言、「どんなことでもいいですが、何かお困りごとはありませんか?」と訊ねるようにしていた。
 
   するとよく、「畑違いかもしれないが・・・」といって経営全般の悩みを話してくれた。
 
   「わかりました。少し、時間を頂けますか?その件について調べた上で、お答えさせてください」といって、退所する。
 
   事務所に戻ると、すぐに本屋さんに駆け込み、関連の本を2、3冊購入して徹夜で読破する。そして、朝一番に電話をし、報告をすると大変喜んでくれて、「また今度、頼むね!」といって頂いたものだ。
 
   “未来進行形”の仕事をして、一番得したのは私だったと思う。新たな知識や経験を増やすことができたし、おかげで職域も広げることができたのである。
 
   稲盛フィロソフィの一片に触れたような気がして、得した気分である。
 

今週の考える言葉「個人的には」

考える言葉

個人的には

   朝日新聞を読んでいると、『天声人語』(11月22日付)に次のような論説があった。
 
   『“個人的には”・・・。わざわざそう断って発言する人がやけに多いように感じる。気のせいだろうか。「私はこう思う」と単に言えばいいのに、なぜかこの表現がよく使われる』と・・・。
 
   取り立てて言うほど気にはしてなかったが、確かに言われてみると、「“個人的には”・・・」という発言を耳にすることが多いように感じる。ただ、『天声人語』であえて取り上げて論説するほどのことなのかと思い、深読みしてみた。
 
   “個人的には”という言葉の意味が気になって、調べてみると、「社会的な集団に対する各々の人に関すること」「公的なものと異なる」「個人を主体とするさま。個人に関するさま」とある。
 
   コラムの論説委員は、「私はこう思う」と言えばいいものを、なぜ「個人的には・・・」というのか、と疑問を投げかけている。
 
   何かの組織を代表して発言する立場でない限り、個人としての発言をしているのであるから、改めて言うまでもなく個人的なものである。それをなぜ、敢えて「“個人的には・・・”」というのか?
 
   その使い方には、三通りの状況が考えられる。
① 一つは、自信の無さ。自分の意見に自信を持てない背景から保身・保険のために使う。つまり、「逃げ道」として使う。
 
② もう一つは、他の人への気遣い。相手の気に障るかもしれないが、これだけは言っておこうというときに使う。
 
③ さらに、場の活性化。他の人の意見を引き出し、場を活性化させるためにさりげなく使う。
 
   論説では、日本の企業では同調圧力が強いので、その圧力にたえる「逃げ道」が必要となり、「個人的には・・・」という表現になってしまっているのではないかと指摘している。
 
   ここまで書いているうちに、ふと、「自分はどうだろう?」と思って考えたみたが、ほとんど「個人的には・・・」という言葉をつかっていないことに気づいた。なぜか?一言でいうと、「個人=全体」という自覚であろう。自惚れではなく、立場上、無意識のうちにそうなってしまっているのかも知れない・・・。
 
   今後、「個人的には・・・」という言葉を使うことがあったとしても、①ではなく、②あるいは③の状況で、使いたいと思う。
 

今週の考える言葉「集中力」

考える言葉

集中力

   雲一つない秋晴れのなか、久しぶりにゴルフを楽しんだ。昼食後の後半は、半袖でも廻れそうな暖かさであった。
 
   クライアント先のゴルフコンペに事務所の連中4人で参加し、一緒にプレーを楽しんだが、スコアはいまいち・・・。歳のせいで、腕が落ちたのもあるが、肝心なところで“集中力”を欠き、凡ミスが多すぎたせいだろう。
 
   “集中力”(concentration)の低下、その原因は・・・。歳のせい?それも無きにしも非ずだが、やはり、執着心の欠如だろう。
 
   「もっと、ゴルフが上手くなりたい!」「スコアは90を切りたい!絶対に100を叩かない」など、執念に燃えて一打一打を大事に打っていたような気がする。
 
   だが、“集中力”の低下を嘆いてばかりいてもしょうがない。
 
   「ゴルフは遊びだから」と言い訳しても、誰にも迷惑をかけるわけではないが、仕事においてはそうはいかない。それが歳のせいであるならば、「老兵去るのみ」だろうし、執着心の欠如だとなれば、手抜きを指摘されるであろう。
 
   執着心の欠如といったが、“集中力”は「心の持ち方」で強弱が決まる。つまり、「心の強さ」以外の何ものでもないと思う。
 
   では、「心の強さ」はどうやって鍛えられるのか?一言でいうと、目標設定の良し悪しで決まる。なにがなんでも達成したいと心の底から思えるような価値ある目標をイメージできるかどうかだ。
 
   そして、「あるべき姿-現状」が問題であり、その問題をどう解決するかを真剣に考えるところから、目標が生まれる。つまり、日頃の問題意識から目標が生まれ、その達成のプロセスの中で、「心の強さ」が鍛えられ、“集中力”が培われるのである。
 
   そう考えると、“集中力”は日頃の鍛錬によって習慣化できるものだと思う。朝起きたとき、「今日一日をどういう生きるか」を考え、その成果とすべき目標を一つ、明確に掲げる。そして、それに集中する。
 
   その気になれば、すぐに実行できることだ。仮に、その掲げた目標が他への貢献的な内容であるならば、なおさらである。有言実行し、他からも喜ばれるし、集中力が養われる。
 
   中国の古典「呻吟語」(呂新吾)の中に、次のような言葉がある。
 
   「精神を集中すれば、諸々の善が寄り集まってくる。逆に、精神を弛緩させれば、諸々の悪がその隙につけこんでくる」
 
   “集中力”の必要性を語った言葉である。心が弛んでいては、なにもできない。
 

今週の考える言葉「利他の心」

考える言葉

利他の心

   “利他の心”とは、仏教でいう「自利利他」の精神に由来しているのだろう。
 
   「自利利他」という言葉を出逢ったのは、もう半世紀近く経つが、TKCの創業者である故・飯塚毅先生からの教示である。
 
   あの当時、知識教育の偏重からだろうか、会社に宗教や思想を持ち込むべきではないという風潮があった頃である。能力至上主義で、物の考え方や価値観を軽視した生き方に危うさを感じ、飯塚先生は「会計人よ、哲学を学べ!」と熱く語られていたのであろう。
 
   以来、小生の価値観の根底には、「自利利他」の精神が培われ続けてられて来たのだろう。そして、そんな心の思いが、その後のあらゆる人との素晴らしい出逢いを引き寄せたのだと有難く思う・・・。
 
   さて、“利他の心”を実践している経営者といえば、稲盛和夫氏だ。27歳という若さのとき、周りの人たちの協力で京セラをつくってもらい、任されたときから“利他の心”を貫く経営をしてきたのだという。
 
   以前にも紹介したと思うが、稲盛氏は“利他の心”を説明するのに、ある老師の次の言葉を引用している。
 
   「地獄も極楽も外見上は全く同じような場所だ。違うのは、そこに住んでいる人の心の状態の差だけだ」と。
 
   大きい釜があって、そこで美味しそうなうどんが煮えている。それを食べるには、物干し竿のような長い箸を使うしかない。
 
   地獄では、みな利己的な心の持ち主だから、「オレがオレが」と我先に食べようと殺気立ち、うどんを奪い合い、つかめたとしても誰も上手く食べられない・・・。
 
   一方、極楽では、“利他の心”の持ち主ばかりであるから、自分のことを先に考えるのではなく、自分の長い箸でうどんをつかむと、「お先にどうぞ」と言って、先に他の人に食べてもらう。すると、相手が「ありがとう。今度はあなたの番です」と言い、食べさせてくれる。
 
   “利他の心”があれば、お互いに感謝を述べ合いながら、和気あいあいと食べることができる。まさに、そこにいる人の心の状態の差だけである。
 
   つまり、心の持ち方ひとつで、地獄は天国に変わるという、非常に分かりやすい話である。
 
   最近、コロナのお陰で、ゆっくりとした時間を持てるようになり、内省する機会が増えた。その時の物差しとして、“利他の心”という考え方は有難いと思う。
 

今週の考える言葉「深沈厚重」

考える言葉

深沈厚重

   中国の古典に『呻吟語(しんぎんご)』という著書がある。著者は、明の時代の政治家、思想家で呂新吾(りょしんご)である。
 
   その著書の中に、人物像について述べてある一節があるので紹介したい。
 
   「深沈厚重(しんちんこうじゅう)なるは、これ第一等の資質。磊落豪雄(らいらくごうゆう)なるは、これ第二の資質。聰明才弁(そうめいさいべん)なるは、これ第三等の資質」
 
   “深沈厚重”とは、どっしりと落ち着いて深みのある人物のこと。(寛容かつ威容、確固たる信念を持ち合わせている様)
 
   磊落豪雄とは、積極的で細事にこだわらない人物のこと。
 
   聰明才弁とは、頭が切れて弁が立つ人物のこと。
 
   この“深沈厚重”という言葉とは、もうだいぶ前になるが、安岡正篤先生の著書の中で知り、『呻吟語』(呂新吾著〈守屋洋編・訳〉)を購入し、読んだという記憶がある。
 
   その当時、同業者の友人からの紹介で、『経営人間学講座』(竹内日祥上人主催)に通い出した頃で、「人間いかに在り、生きるべきか」を真摯に考えていた頃だったので、得心したのを覚えている。
 
   最近、思うことがあって、書棚の整理をしつつ、心惹かれた本を再読している。その中の一つに『生き方』(稲盛和夫著)があり、読み直していると、「リーダーには才よりも徳が求められる」という節の中で、『呻吟語』のこのくだりを引用し、次のように解説を加えてあった。
 
   呂新吾は、人の上に立つ者(リーダー)の資質として、次の3つの要素を兼ね備えていることが望ましいと示唆してくれている。
 
一.深沈厚重(=人格)
 
二.磊落豪雄(=勇気)
 
三.聰明才弁(=能力)
 
   稲盛和夫氏の読解力の凄さは、それぞれ3つの要素を「一.人格 、二.勇気、 三.能力」と平易な言葉に置き換えて、理解し、説明を加えているところにある。
 
   今、時代のパラダイムが大きく変わろうとしている。そのような状況下において、人の上に立つリーダーにこそ才や弁でなく、明確な哲学を基軸とした“深沈厚重”の人格が求められるのであろう。
 
   稲盛和夫氏がつねに真摯に問うている「人間として正しい生き方とは何か?」を常に内省し、“深沈厚重”の人格を磨き続けたいと思う。
 

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