9月の税務カレンダー
税務カレンダー


NIH症候群
コロナ禍の日常性が長く続く中、最近気になるのは、コロナが収まったあとの世の中はどう変わるのだろうか、であろう。
そんなことを思いながら、ドラッカーの書物を読んでいると、次のような文章に出逢った。
「アメリカの言葉に『NIH』(Not Invented Here)というのがあるが、アメリカで発明、発見、製造されたものでないものは取り上げるに値しないというこのような高慢な態度は、間違った習性の一つである」と。
“NIH症候群”(Not Invented Here Syndrome)とは、「ある組織や国が別の組織や国(あるいは文化圏)が発祥であることを理由にそのアイデアや製品を採用しない、あるいは採用したがらないこと。またその結果として既存のものとほぼ同一のものを自前で再開発すること」をいう。端的に、「自前主義」ともいうそうだ。つまり、自分が考えたものが一番よいという思考である。
第二次大戦後、名実ともに世界の経済を引っ張っていく立場になったアメリカ・ビジネス界の傲慢さゆえの過信に対して、危機感を感じ、反省を促すための警鐘だったのだろうと思う。
そう言えば日本も、戦後の復興期を経て55年体制が整ったあとに続く高度経済成長期(55年~73年)を終え、80年代初頭には『ジャパン・アズ・ナンバーワン』(社会学者エズラ・ヴォーゲル著)という著書も出版されて、絶頂期を迎えた感があったが、その後、「ジャパンバッシング」(日本叩き)が起こり、1990年代のバブル崩壊への道を辿ったのは承知の事実である。 (注) 参考までに、「1955~57年(神武景気)、1958~61年(岩戸景気)、1963~64年(オリンピック景気)、1966~70年(いざなぎ景気)」と呼ばれていた。
さて、話をコロナ後の世界に戻そう…。
よく経営者の人たちから、「コロナさえ収まれば、業績は元に戻るだろう」という期待的な観測である。つまり、今の業績(売上や利益)の落ち込み、低迷はコロナ環境だからだという。
果たして、そうだろうか?否だと思う。
よく20世紀は「科学の時代」であったと言われる。つまり、科学の発達が世の中の進化を支えてきたと・・・。21世紀は、大きな変革の時代であるという。20世紀という過去の延長線上ではない「時代のキーワード」が問われているのではないだろうか?
時代の価値観が求めているものは何か?それを虚心坦懐に問うてみたいと思う。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
表の風
「表の風に吹かれろ!」
ピーター・F・ドラッカーの数多い名言録の一つである。折あるごとに口を酸っぱくして説いたという戒めの言葉である。
ドラッカーは、次のような理由から「表の風」論を大事にしたのだという。
① 企業はあくまでも社会の中で生きていく存在である以上、組織の外の情報、動き、トレンドに鋭敏な触覚をもらなければ、結局のところ衰退と滅亡の道を歩む。
② 企業というものは、外部社会から資源(ヒト・モノ・カネ・情報など)を預かり、それを内部の資源と上手く結合させて、製品・サービスを社会へ提供し、その結果、利益を得ている。
③ 組織の中にあるのはコストのみである。
④ 企業の使命は、市場(顧客)の創造にある。
そして事業とは、市場において、知識という資源を経済価値に転換するプロセスである。事業の目的は、顧客の創造にある。
以前にも話したと思うが、ドラッカーはマネジメントという言葉を、「成果をあげるために行動すること」と定義している。そのために企業にとって必要とされる2大機能として「マーケティング」と「イノベーション」を掲げている。
事業の成果は、外(市場)にある。その求めているものを把握していくには「外からみる」必要がある。しかも、外の環境は絶えず変化しているのである。その意味においても、つねに意識して「表の風に吹かれろ!」である。
話が少し変わるが、学生時代の頃、お酒を飲んでの議論が過熱し、互いに「外に行って頭冷やしてこい!!」言い合ったことを思い出した。
一つは、自分の意見に執着しすぎて、相手の意見を聞こうとしていない自分があったのだろう。いわゆる、その場の空気が読めてなかったのだろう。
「少し、外の空気を吸ってきたら・・・」 マンネリに陥っていて、発想の転換がうまくいかない時だ。思考が堂々巡りしている状態だ・・・。気分転換が必要な時だ。
いずれにしても、自分にとらわれ過ぎた結果である。経営においても、多分に見られる風景である。
自社の製品、自社の技術、自社の顧客からの発想からスタートしている。つまり、内部からのスタートであって、外からの発想ではない。
ドラッカーのいう「表の風に吹かれろ!」とは、組織の内部的な発想を排除し、外からの視点(顧客のニーズ)からスタートすることの重要性を説いているのであろう。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
喜びの追求
もう、本田宗一郎氏(ホンダの創業者、1906~1991年)が逝去して30年は経つと思うが、書棚を整理しながら、本をめくっていると、氏の次の言葉に目がとまった。
「私はたえず喜びを求めながら生きている。そのために苦労には精一杯に耐える努力を惜しまない」。
人間であれば誰しも、喜びに満ちた人生を送りたいと願うだろう。その意味においては、ごく普通の願望だろう。
だが、「たえず」と念を押されると、どうだろうか・・・。さらに「そのために苦労には精一杯耐える努力を惜しまない」とまで言われてしまうと、その言葉に氏の信念、生き様を感じざるを得ないのである。
本田宗一郎といえば、豪放磊落、自由奔放などの表現をされることが多く、会社の算盤勘定や経営の舵取りは藤沢武夫氏に任せっきりで、大好きなモノづくりにハマっていたという。しかし、多くの人を魅了し、引き寄せる器の大きさがあったに違いない。
彼がいう「喜び」とは、自らの好奇心を満たすことによって得られる「喜び」だったと思うし、さらに、自分のモノづくりの成果が世のため人のためになる、つまり他人の喜びと通じるという確信だったに違いない。
氏の価値観(思考の枠組み)が「自利利他の精神」で培われていたことは、次の言葉においても自明であろう。
「私は若い社員に、相手の人の心を理解する人間になってくれと話す。それが哲学だ」と。
生前に、本田宗一郎氏と親交が深かった井深大氏(ソニーの創業者)は、彼の書籍『わが友本田宗一郎』の中で、本田氏を評して次のように述べている。
「私が、本田さんを高く評価している点は、大きくいって二つある。ひとつは、技術者としての志の高さというか、完璧なエンジンづくりを目指した姿勢である。もうひとつは、会社のことだけでなく、広く世の中のことや、みんなが上手に幸せに暮らしていけることをつねに考え、ほんとうの意味での真理を自分でできることで実行し、一生を貫いた存在だった」という。
「温故知新」という言葉があるが、本田宗一郎氏や井深大氏に関する本を読み直していると、今再読し、要約文を作成しているP・F・ドラッカーのマネジメント思考を、すでに実践し成果を出した経営者が日本にはたくさん存在していたことを、改めて思い知らされる。
ドラッカーが生前、日本によく訪れて、日本びいきだったことが思い出される。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
二律背反性
先週末(8月5日)、第93回MAPサロン(大手町サンケイプラザ)が開催され、久々に講演をさせてもらった。テーマは、『未来会計の真髄~未来からの逆算が会社を大きく変える』である。
未来会計とは、「経営者の意思決定をサポートし、持続可能な未来を構築するに必要な会計の体系」をいう。つまり、「未来を創造するための会計」と表現してもいいだろう。その真髄を一言でいうと、「目標設定にある」といっても過言ではない。
企業間の格差は、マネジメント力の差である。そして、「マネジメント力の差は目標設定の良否で決まる」と、P・F・ドラッカーも示唆している。
事業における目標設定の視点は幾通りもあるが、ドラッカーは重要な視点として次の6つを挙げている。
① マーケティング
② イノベーション
③ 経営資源
④ 生産性
⑤ 社会的責任
⑥ 費用としての利益
このように、事業を展開していく中で掲げる目標は一つではない、複数に及ぶことになる。そこで留意すべきことは、“二律背反性”の問題である。つまり、「こちらを立てれば、あちらが立たない」という、両立しない関係のことである。
では、“二律背反性”の問題を解決し、緩和させるためにはどうしたらいいのだろうか。
「迷ったら、原点に帰れ」という言葉がある。目標は、目的を達成するための手段・方法として設定されるものである。「目的は一つ、無数にある手段で争わず」という言葉がある。まさに、言い得て妙である。
マネジメントの目的は、唯一、顧客の創造にあるとドラッカーは述べている。だとすれば、その目的に沿って、上記の6つの目標は相互補完し合う関係で設定される必要があるといえよう。
以上のように、仮に“二律背反性”の問題が生じているとすれば、共有すべき目的を見失っている証拠であると考えて、対処すれば解決できると確信している。
特に、マーケティング(現在の顧客)とイノベーション(未来の顧客)の二点に関しては、“二律背反性”の問題について十分に留意してかかるべきだと思う。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」

数学力
『IG後継者育成塾(第7期第4講)』(R4.7.22~23 in福岡)を終えたばかりである。今回のテーマは「決算書の見方・活かし方」で、“数字力”を磨くことの大切さを、二日間じっくりと学んで頂いた。
日本資本主義の父・渋沢栄一氏は、『論語と算盤』の中で、「実業(算盤)と道徳(論語)が一致しなければ、富は永続できない」と述べている。また、京セラの稲盛和夫氏も、「会計が分からんで、正しい経営ができるのか」と示唆している。つまり、“数字力”は優れた経営者の一条件であるといっても過言ではないだろう。
今、“数字力”は健全経営を行うためには不可欠な条件であると述べたが、“数字力”に強い経営者には次のような3つの特徴がある。
① 現状を正しく把握する力がある。(現状把握力)
② 問題を具体化する力がある。(問題提案力)
③ 目標(課題)を明確にする力がある。(目標達成力)
経営者をはじめすべての利害関係者が最も知りたい財務的情報には、大きく二つあると思う。 一つは「儲かっているのかどうか」であり、もう一つは「潰れる心配がないのかどうか」であろう。
当然ながら、企業の決算書は二つの関心事に応えられるような仕組みになっている。損益計算書(PL)を見れば、「儲かっているかどうか」が一目瞭然で把握できるようになっているし、「潰れる心配がないかどうか」は貸借対照表(BS)を見て分析すれば分かるようになっている。
さらに、キャッシュフロー計算書(CF)を見れば、一定期間における資金の流れも把握できるようになっている。
数字(会計)のプロであれば、その会社の決算書(できれば5期比較)を見せてもらえば、概ね、そこの会社の実態を把握できるし、どんな問題があるのか具体化できるし、問題解決のための具体的な目標(課題)を掲げることができる。
では、“数字力”を養うための早道は何か?
目標管理(「仮説」~「実践」~「検証」のサイクル)を徹底してやり続けることではないだろうか。
「仮説」とは、将来の決算書がイメージできるまで考え抜くこと。「実践」とは、その決算書の数字を達成するための戦い。「検証」とは、結果としての決算書を読み解くことである。
不透明な時代である。経営者にとって、“数字力”は欠くことのできない要件である。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
5つの習慣
今までに何度となく再読している書籍の一冊に、ドラッカーの『プロフェッショナルの原点』という本がある。
冒頭の書き出しに、「本書のキーワードは、行動と成果である」と述べてある。そして、
「成果をあげる人は、その知識の豊富さではなく、なされるべきことをなすことによってである」と明言してある。
小生がこの本を何度となく手にとり、熟読する理由は、自己啓発の書として、また成果をあげる習慣を身につける訓練の書として、極めて有効な内容だからである。まさに、プロとしての原点に回帰できるのである。
「本書は、成果をあげる習慣を身につけるための訓練の書である」と前置きし、成果をあげるには、次の「五つの習慣」を身につけることが必要である、と述べている。
① 時間をマネジメントする
② 貢献に焦点を合わせる
③ 強みを生かす
④ 重要なことに集中する
⑤ 効果的な意思決定を行う
以上の五点のスキルについては、「時間、貢献、強み、集中、意思決定」とキーワードを明記し、いつでも思い出し、思考できるようにしている。
①の時間に関しては、まず大事なのは「汝の時間を知れ」である。時間を記録し、整理し、まとめるという三段階のプロセスが必要だ。そして、ムダを省いて、新たに生じた時間を④の重要なことに集中することだ。
②の貢献に関しては、自らに期待されている貢献は何かを問う。その時、大切なことは全体の成果への貢献と責任を意識することである。
そして、しかる後に、③の自らの強み、上司や部下の強みを総動員することだ。成果をあげるのに大事なもう一つのスキルが⑤の効果的な意思決定である。大切なのは妥協をしないことだ。成果をあげる意思決定は意見の対立からもたらされることが多い。
以上、成果をあげるための「五つの習慣」について考えてみた。
しかし、大事なことは、実際に行うことである。「成果をあげるためのスキルは実際に使うことによって磨かれる。すべていかにあるべきかが問題ではなく、いかになすべきかの問題である」という。
成果をあげてこそ、プロである。「五つの習慣」を体得したいと思う。転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
フロー概念
“フロー”といっても、経済学や会計学でいうところの「フロー(一定期間の増減額)」や「ストック(一定時点の残高)」の関係における“フロー”ではない。
ハンガリー出身で、アメリカの心理学者であるミハイ・チクセントミハイ(1934~2021年)が提唱した“フロー概念”について考えてみたい。
次の問いへの追求から、氏の研究はスタートする。
「人が、その持てる力を最大限に発揮して、充実感を覚えるときというのは、どのような状況なのだろうか?」
この問いに答えるために、チクセントミハイがとった方法は、様々なジャンルにおいて、仕事を愛し、活躍している人たちにひたすらインタビューをしていったという。そのとき、氏はあることに気づく。
それは、かれらが、最高潮に仕事に「ノッテいる」ときに、その状態を表現する手段として、しばしば“フロー”という言葉を用いていたという。
ここでいう“フロー”とは、「最高に集中していてなおかつリラックスしている状態。没頭」をいう。
チクセントミハイは、“フロー状態”に入ると、次のような状況が発生するという。
① 過程のすべての段階に明確な目的・目標がある
② 行動に対する即座のフィードバックがある
③ 挑戦と能力が釣り合っている
④ 今やっていることに集中する(行為と意識の融合)
⑤ 気を散らすものが意識から締め出される
⑥ 失敗の不安がない
⑦ 自意識が消失する
⑧ 時間間隔が歪む
⑨ 活動が自己目的的になる(手段と目的の一体化)
ここまで、チクセントミハイのいう“フロー概念”について検討してきたが、ひとつ気づいたことがある。
IG会計グループが提唱している未来会計サービスは、循環モデルを徹底することによって生じるフローをつくり出す。まさに“フロー概念”ではないだろうか。
リーダーはメンバーに対し「目標を明確にし」「適切なフィードバックを行い」「スキルを適合させる」仕組みをつくることの提案。まさに、フロー概念である。
一人ひとりの自覚のもと、職場全体を“フロー状態”にしたいと思う。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
論理的思考
経営者には、「論理的に物事を考える力、すなわち“論理的思考”が必要だ」と、しばしば耳にする。
「経営とは真理と一体となった営みをいう」(『経営人間学講座』)の言葉通り、なぜかというと、経営は論理であり、論理を知らなければ、実践できないからだ。論理なき実践は、行き当たりばったりの試行錯誤になってしまう。
“論理的思考”は、自らの実践の根拠として必要であると同時に、もう一つは他に対して説明する能力として、経営者にとって欠くことができない資質であろう。
不透明な時代環境の中で舵取りをしなければならない経営者にとって、先見力や洞察力を養う必要があるというが、その資質を支えているのが“論理的思考”ではないだろうか。
経営には、様々な論理があるだろう。戦略・戦術を考えるための論理、組織論やリーダーシップ論なども然りである。
「経営を見る眼」(伊丹敬之著)では、そうした様々な論理に共通する基本論理として次の三つの論理が大切だとしている。
① カネの論理(経済の論理)
一般の企業は、市場経済の中で経済的目的を第一義的な目的としてつくられている。市場経済では、カネが購買力を決め、富の蓄積を決めている。ゆえに、カネの論理が経営の論理の中心にくる。
② 情報の論理(見えざる資産の論理)
企業の活動は、情報のやり取りと蓄積から成り立っているといえよう。市場における様々な情報のやり取りが学習につながり、それが情報蓄積を生み出している。
③ 感情の論理(人間力学の論理)
これは、人間くさいが、論理である。単に情緒だからわからないとか、心理だから計算できないからといって無視できないものである。
これら三つの基本論理はしばしば、相互に矛盾するという。故に、総合判断をせざるを得なくなるという。
さらに、経営判断においては環境を無視することはできない。経営の具体策を考えるとき、環境との絡み合いや環境条件の動き、変化も影響があることを考慮する必要があるだろう。環境の変化、ゆれ動きこそ常態である。
経営には論理がある。方程式もある。そしてゆれ動きもある。そうした経営の要素を総合的に判断して考える、“論理的思考”が求められている。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」