6月の税務カレンダー
税務カレンダー
自社の魅力
企業には、様々な利害関係者(ステークホルダー)が存在する。
金銭的な利害関係が発生する顧客や株主そして取引先はもちろんだが、企業活動を行う上で関わるすべての人のことをいう。地域住民、官公庁、金融機関、そして従業員なども含まれる…。
そのような利害関係者にとって、“自社の魅力”はどのように映っているのだろうか。
様々な利害関係者が存在するが、その中でも顧客が関心を持っている“自社の魅力”とは何だろうか。
どんな企業にも、お得意さんと呼ばれる顧客が存在するが、その人たちの顔を思い浮かべながら、次の質問に答えることによって、“自社の魅力”について考え、整理してみよう。
① 第一に、今までで最も高い評価を受けた仕事は何か?
② 第二に、それはこれからも高い評価を受けそうか?
③ 第三に、なぜそう思うのか?
④ 第四に、評価をさらに高めるために、どのような要素を追加すべきか?
⑤ 第五に、それを習得する方法は何か?
⑥ 第六に、実際に習得するにはどうすればよいか?
どうだろう…。改めて問い直してみると、意外と曖昧な答えしか浮かばない得意先も多いのではないだろうか。
「ずっと取引しているから」「近くで便利だから」「知人の紹介だったから」「各種交流会のメンバーだから」「他社にないサービスをしてくれるから」「対応が早いから」「何となく…」などだろうか…。
いずれにしても、何らかの理由があって、多くの競合の中から、自社を選んでくれたのは間違いないと思う。それが価格でないとすれば、その理由は何か。その理由こそ、“自社の魅力”だと考える。
“自社の魅力”とは、自社の強みでもある。
そして、ドラッカーは経営戦略のベースには“自社の魅力”(強み)を据えて考えるべきだと助言している。
経営戦略の構成要素とは、①市場・顧客、②商品・サービス、③流通ルートである。すなわち、これら3つの構成要素について、“自社の魅力”がどのように反映されているかどうか、検討してみることも大切であろう。
もちろん、“自社の魅力”は、「顧客にとっての魅力」であることは当然のことである。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
八つの習慣
以前に、「マネジメントとは、組織をして“成果”をあげさせるための道具、機能、機関である」という、ドラッカーが掲げたマネジメントの定義を紹介したことがある。
今回は、成果を上げる人が必ず身につけているという“八つの習慣”について言及しているので紹介したい。
性格、姿勢、価値観、強み、弱みのすべてが千差万別であったが、「成果をあげた人たちのほとんどが、次の“八つの習慣”を身につけていた」と、ドラッカーはいう。
① なされるべきことを考える
② 組織のことを考える
③ アクションプランをつくる
④ 意思決定を行う
⑤ コミュニケーションを行う
⑥ 機会に焦点を合わせる
⑦ 会議の生産性をあげる
⑧ 「私は」ではなく「われわれは」を考える
これら“八つの習慣”については、何度も読み直し、日常的に習慣化できるように心がけて行動してきたが、今は確かに的を射た指摘であると確信している。
①の習慣について留意すべきは、何をしたいかではなく、「なされるべきこと」を考えることが成功の秘訣であるという。②の習慣は、個人としてではなく、先ずは組織人としての自覚を持つことの重要性をいっている。
成果を上げる人たちは、①と②によって「何をなすべきか」をしっかりとイメージできたのであろう。そして、③以降が成果を上げるための行動を形づくる。
③の習慣は、行動を前提とした準備をいう。そのためには、④の意思決定、⑤のコミュニケーション、⑥の機会、⑦の会議の4つについて、一つひとつ十分に考え、検討する必要がある。
そして、組織人としての自覚は、⑧の「私は」ではなく、つねに「われわれは」という視点で思考し、行動することによって習慣化される。
習慣とは、そうすることが当たり前になっていることであるが、習慣化する秘訣は一つ、やり続けることである。
上記に掲げた“八つの習慣”は、間違いなく成果につながる習慣だと実感している。今後も意識して、さらに磨きをかけ続けたいと思っている。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
ジェンダーギャップ
今日の朝日新聞に記載されていた記事(歴史社会学者・小熊英二氏へのインタビュー記事)に、“ジェンダーギャップ”という言葉があった。“ジェンダーギャップ”とは、いわゆる「男女格差」のことである。
昔から問題視されていたことも、言葉を言い換えると、違った響きを感じるのは不思議なものだ。
日本は政治や経済などにおける“ジェンダーギャップ”が世界的にも大きい国だという。「男女格差」は、女性の社会進出化が進み、是正されていたと思っていたが、そう単純でもないらしい。(「ジェンダーギャップ指数」は、世界156ヶ国中120位)
そういえば昨年、森喜朗元総理の「女性の多い会議は時間がかかる」発言が、物議を醸し出していたことを思い出した。
小熊氏のデータ分析によると、大都市と地方で女性が置かれた状況が異なり、日本の女性は次の2種類の排除に直面しているという。
①「大都市郊外型」
この型では、女性の地方議員は比較的多いが、労働力率は低くなる。その理由は、大都市通勤圏は高所得の男性が多く、専業主婦になりやすい傾向がある。しかし、高学歴な女性が多いため市民運動を経て政治に進出する背景があるという。
②「地方圏型」
この型では、女性の労働力率は高いけれども、地縁や血縁に阻まれているせいか地方議員の女性比率は低い。
日本の女性労働力率は低くはないのだが、現場労働や非正規が多く、高賃金部門や上級管理職、政界など社会のコア部分に女性の進出ができていないという。
少子高齢化という将来に対する大きな課題を抱えている日本にとって、“ジェンダーギャップ”だけの問題ではなく、地域格差や階級格差という問題を含めて、社会全体の構造的な問題として、統合的に、関係性思考で取り組んでいかなければならない社会的問題だと考える。
つまり、部分の問題ではなく、全体の問題として捉え、それらを解決していこうとするならば、やはり、大切なことは「国としてのビジョン」を明確にすることであろう。
21世紀世界における「日本のあるべき姿(使命・役割)はどうあるべきなのか」、そして「現状との差」を埋めるために、私たち日本人の持つ「強み」とは何か、どんな「成果」をもたらすことができるのか・・・。そうした社会構造的な問題と向き合うことによって、“ジェンダーギャップ”は、解消されてくるのだと考える。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
三つの成果
ピーター・F・ドラッカーは、マネジメントを「組織として“成果”をあげさせるための道具、機能、機関」であると定義した。
つまりドラッカーのいうマネジメントは“成果”をあげることが大前提であり、“成果”をあげるための組織において共通して役立つ理論を体系化したものだといえよう。
「主役は“成果”である」と、ドラッカーは『マネジメント』のまえがきで宣言しているように、ドラッカー思想を理解する上で、最も重要なキーワードだといえよう。
ドラッカー思想に出会う前までは、「主役は努力」であったように思える。「一生懸命に努力した結果だから、しょうがない。諦めるしかない・・・」等々。
しかし、ドラッカーの言葉に出合った時から、考え方を変えた。
「“成果”が出なかったのは、努力が足りなかったからだ。あるいは、努力の方向性を間違えたからだ」と。そう考えることによって、検証の質が高まり、次のステップへの様々な気づきが得られるようになったと思う。
目的と“成果”は、切っても切れない関係にあるといえる。
目的は組織が進むべき方法を指し、“成果”はその過程で具体的に手にする結果をいう。
マネジメントの目的は顧客の創造にあるが、そのために最善の努力を払うが、“成果”はその過程で具体的に手にする結果だといえる。
ドラッカーは、多くの組織はミッションを持っており、それを実現するために、次の三つの領域の“成果”が必要だと指摘している。
① 直接の成果
② 価値への取組み
③ 人材の育成
ここでいう、①の「直接の成果」とは、売上や利益、顧客数などをいう。これらは測定可能で、企業の標準的な評価尺度として不可欠なものである。
②の「価値への取組み」とは、顧客価値の継続的な創造を意味している。顧客が支持してくれる要因を突き止め、継続的にその価値を高めていくことである。
そして、③の「人材の育成」は、組織の明日を考えれば避けて通れない重要な“成果”である。
正しいマネジメントとは、これら“三つの領域の成果”を明確かつバランスよく定め、舵取りをしていくことに他ならないと思う。
「“成果”は主役である」というドラッカーの言葉を改めて噛みしめてみたい。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
管理手段
IGグループでは、創業の当初から、自律的で、主体的な人材に育ってもらうことを目的として、ドラッカーが提唱した「目標管理(MBO)」(Management by Objectives)を導入し、やり続けている。
「目標管理(MBO)」というシステムを運用するときに、最も気をつけなければならないのは、「管理(control)」という言葉の意味の捉え方である。
ドラッカーは、「管理」について次のように述べている。
「“管理”という言葉はできるだけ避けたい。なぜなら、それは“支配”を想起させるからだ」と・・・。すなわち、「知的労働者を管理、監督することはできない」というのが、ドラッカーの信念である。
さらに、ドラッカーの「成長」についての考え方は、次の通りである。
「成長は、常に“自己啓発”によって行われる。企業が人の成長を請け負うなどということは法螺にすぎない。成長は一人ひとりの人間のものであり、その能力と努力に関わるものである」
つまり、人間は誰でも“自己啓発(self‐development)”しようという意思を持っているという。そうであるならば、「人材育成の基本は、育てるのではなく、育つ環境を提供することである」という。
育つ環境とは、“働きがい”をもてる環境と置き換えてもいいだろう。働きがいに関して、ドラッカーは次のように述べている。
「働きがいを与えるには、仕事そのものに責任を持たせなければならない。そのためには、①生産的な仕事、②フィードバック情報、③継続学習が不可欠である」と。
つまり、責任は、働きがいの源泉である。つまり「責任を果たすことが働きがいを生むことになる」のである。
そして、責任をもたせるための条件として、次の3つことを示唆している。
① 仕事を生産的なものにすること
② 成果についてフィードバックすること
③ 継続学習が不可欠
以上のように考えると、“管理手段”を用いた方向づけは、一人ひとりの人間の「動機づけ」につながらなければならないということである。
「仮説~実践~検証」という経営サイクルを用いたマネジメント手法を展開するにあたって、“管理手段”の意味を改めて問う必要があるだろう。「評価測定」の本質は、一人ひとりが自らを振り返り、自ら動機づけることにあると考える。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
無為のリスク
最近、気になる言葉の一つにピーター・F・ドラッカーが示唆している“無為のリスク”がある。
ドラッカーは次のように述べている。
「事業においては、リスクを最小にすべく努めなければならない。だがリスクを避けることにとらわれるならば、結局は最大にしてかつ最も不合理なリスク、すなわち“無為のリスク”を負う」(『創造する経営者』)。
“無為のリスク”とは、未来や機会に挑戦しないリスクをいう。
「現状維持は衰退である」と言われるほど変化の激しい今日、誰しもが変化というリスクから逃れることはできない。だがしかし、傍観者である人が意外と多いのではないかと危惧する。
「何もしないということは、環境の変化に身を任せ、自ら陳腐化させられる道を選択しているのに等しい」という。つまり、結果として、不合理で最大のリスクを背負うことになると指摘している。
そのためにも、ドラッカーは、意思決定に伴う“リスク”の性格を見極めるべきだとして、4つの“リスク”に分類している。
①「負うべきリスク」
事業の本質に付随する“リスク”で、携っている以上回避できない“リスク”。
②「負えるリスク」
機会の追求に失敗しても、企業の存続に影響がないレベルの“リスク”。
③「負えないリスク」
負える“リスク”の反対のもの。他に、成功を利用することができない“リスク”。
④「負わないことによるリスク」
無為のリスクの典型。革新的な機会を失い、自らを陳腐化させてしまう“リスク”。
トップ経営者の本質は、組織の存続と発展のために「未来や機会に挑戦することだ」と考える。故に、トップの意思決定には不確実性に伴うリスクがつねに存在しているといっても決して過言ではない。
「より大きなリスクを負担できるようにすることこそ、企業家としての成果を向上させる唯一の方法である」というドラッカーの金言を肝に銘じておきたい。
そのために必要不可欠ものが利益の蓄積である。そして、その利益を得るためにはリスクを避けては通れないのである。
“無為のリスク”とは、「ぬるま湯のカエル」のようなものだと、心得ておきたい。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
選択と集中
世の中には、仕事や勉強ができる人とそうでない人が存在する。
「その差はどこから生じるのか?」と問われると、昔から、それは費やした時間の問題ではなく、“集中力”の差であるとよく聞かされたものである。
現代社会最高の哲人の一人と称されたP・F・ドラッカーも“集中力”について、次のように述べている。
「成果をあげるための秘訣を一つ挙げるならば、それは“集中”である」と…。
確かに、自らの体験からいっても、仕事や勉強、読書、また遊びにおいてもそうだが、無我夢中になっていたときは、気づかないうちにあっという間に時間が過ぎていて、我に返ったときには、なんとも言えない充実感に満たされていたことがある。
さて、今回のテーマである“選択と集中”について考えてみたい。
ドラッカーが、マネジメントにおいて提唱している“選択と集中”とは、経営戦略を立てる際に欠くことのできない手法のことである。
一般的にいう「集中」とは集中力の意味で使われることが多いが、マネジメントでいう“選択と集中”は、あるものを一つ選び(コア事業)、そこに経営資源を“集中”投入することをいう。
二つの“集中”の違いは、「時間の長さ」である。前者の“集中”は多くが瞬間的で、長くてもせいぜい一日。だが、後者の“集中”は、持続的である。
もちろん、ドラッカーがいう“選択と集中”での「集中」の意味は、後者、つまり一つのことを継続してやり続けるという意味である。
“選択と集中”という考え方で、限りある経営資源を有効活用するときのポイントは二つあるという。
① 第一は、捨てること。
“集中”とは、多くの可能性を捨てることでもあり、あえて選ばないという勇気が必要とされるのである。
② 第二は、任せること。
人に任せるということは、自分にしかできない仕事だけが残り、それを極めることで卓越性が生まれることになる。ところが、人に任せることに不安をもつ人がいて、任せる勇気が必要となる。
その意味で、選んで一つに決めることは勇気そのものであり、その一つをやり続けることは覚悟そのものだといえよう。まさに、ドラッカーがいうマネジメントにおける“選択と集中”とは、勇気と覚悟の結晶だと考える。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」
GDP
日本経済の長期低迷が言われてから久しい。
「失われた10年」が20年となり、今や30年を過ぎた。日本はこれから「失われた40年あるいは50年」を歩きはじめるのではないかという経済評論家もいる。
この30年で日本はどんな変化を遂げたのだろうか?次の主な統計上の数字を見てみよう。
①日経平均株価…3万8000円台から2万9000円台へ。
②ドル円相場…1ドル=140円台から120円台へ。
③名目GDP…462兆円(1990年度)から553兆円(2021年度)へ。
④一人あたりの名目GDP…342万円から441万円へ。
⑤人口…1億2325万人から1億2618万人へ。
⑥政府債務…250兆円から1200兆円へ。(GDPの2倍超)
⑦企業の内部留保…163兆円から463兆円へ。
そこで注目したいのはGDP…。GDPとは、「Gross Domestic Product」の略で、「国内総生産」のことをいう。1年間など、一定期間内に国内で産出された付加価値の総額で、国の経済活動状況を示している。
名目GDP(553兆円)は、中国に抜かれたものの世界で第3位ある。問題は、一人あたりの名目DGP(441万円)で、世界で第25位である。つまり、人口によって経済大国としての基盤が作られてきたことを意味していると言えよう。
考えてみると、戦後の工業化による日本の経済復興をベースで支えてきたのは、地方からの集団就職、若手の労働人口(低賃金)だったと言える。そして、終身雇用制と年功序列型賃金での安定した雇用体制であった。
しかし、少子高齢化など、世の中の構造がガラリと変わった以上、過去の成功体験は全く通用しないのが今の世の中である。
また、政府債務が250兆円から1200兆円と4倍強に増えている。恐らく、景気対策のために公共投資などに使われたものと推測するが、思った以上の成果につながっていないことは明白である。
グローバル化した時代環境の中では、一国の経済政策だけでは大きな結果にはつながらないということだろう。
やはり、国を支えている国民、企業がみんなで自らイノベーションを断行し、自らの生産性を高めるために、知恵を絞り、努力をすることが大事だと考える。
転載元:IG会計グループ 「考える言葉」