古田会計事務所

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今週の考える言葉「クチコミ」

考える言葉

クチコミ

   今年も、NBM(第 15期)がスタートした。会場は、例年通り、おなじみのクロス・ウェーブ(船橋)。有難いことに、今年も満席(定員 40名)である。先ずは、各地から集まって頂いた参加事務所の方々に、心から「感謝!」です。
 
   NBMとは、NN構想の会主催の『新ビジネスモデル(New Business Model)研究会』の略称である。2003年に、NN活動の一環としてスタートしたが、15年も続く“ロングラン”(long run)となっている。
 
   大々的なPR活動もしていないのに、ロングランを続けられるのは、一重に常連さんの熱い支持があってのことである。有難いのは、自分のところの若くて、優秀なスタッフの人たちを送り込んでくれるだけでなく、先生ご自身も何度も一緒に参加してくれてグループ・リーダーを買って出てくれる・・・。
 
   実は、それだけではない。同業者の仲間に“クチコミ”までしてくれて、新規参加事務所を増やしてくれるのだから、主催者冥利に尽きる。だから、心のなかは「感謝!感謝!感謝!・・・」のオンパレードなのだ。
 
   顧客ロイヤリティ(CustomerLoyalty、CL)という言葉がある。顧客が特定の企業や商品・サービスに対して持つ高い忠誠心のことをいうのであるが、事業を継続していく上で、大切な要素となっている。
 
   昔、よく飲みに行っていた頃、「行きつけの店」というか「ひいきの店」をそれぞれ持っていて、お互いに紹介し合い、梯子となる。自分の「行きつけの店」に入るといつもの場所に座り、決まりの注文をする・・・(アウンの呼吸で、品が出てくることだってある)。連れてきた仲間を大将やママに紹介をして、延々と店自慢をして、悦に入っている。もちろん、勘定はぜんぶ自腹を切るのである。
 
   今思うと、まさに顧客ロイヤリティである。自らが常連であるだけでなく、まさに“くちこみ”をしてくれるのである。
 
   マーケティングによると、忠誠者にも二通りあって、“クチコミ”でお客さんを紹介してくれるレベルの人を伝播的忠誠者というらしい。もちろん、単に忠誠者よりもランクが高い顧客である。自らの体験を感動的に伝えたくなる、そんなサービスを創造し、提供できたならば、必ずや事業はうまくいくだろう。
 
   NBMの特徴は、一方的に講義を聴くのではなく、参画型の研修である。用意された質問に対して、グループ討議を行い、グループあるいは個人ごとに考えをまとめていき、全体の場で発表し、考え方や情報を交換し合うのである。人間は何でもそうだと思うが、主体的に関わったときに感動的な体験を味わい、“クチコミ”をしたくなるのであろう。
 
   “クチコミ”戦略には、そんな演出も必要だと考える。
 

今週の考える言葉「粘り」

考える言葉

粘り

   「結果が出るまで、“粘り”強く、やり続けること!」 講演などで成功の秘訣を聞かれると、必ずそう答えている自分に気づく。
 
   学生の頃、「自分は、“粘り”強さ、しつこさが身上だ」というと、「おまえ、余り“しつこい”と失恋(しつこい?)するぞ」といわれ、「いや、“しつこい”ってことは質が濃くなる(質濃い)ってことなんだよ」と、言い返したものである。
 
   さて、冗談はさておき、“粘り”の大切さについて考えてみたい。
 
   日常的な、ルーチン化された仕事ばかりをしている分には、そうでないと思うが、何か新しいことへ挑戦しようとすれば、必ず壁にぶつかり、悩み、惑い、試行錯誤することが多いのではないだろうか。
 
   そんな時、“粘り”ほど、有効な手段はないのではなかろうか…?自らの経験でもそうだが、粘り強く、やり続けていることが、自らの思考と行動を広げ、深めてくれる機会となるからだ。その結果、得られた成功体験は一つの宝となる。
 
   「成功するには、成功するまで決して諦めないことだ」(アンドリュー・カーネギー)という言葉があるように、仕事を成功させる人に共通な特徴の一つに“粘り”強さがある。
 
   ハウステンボスの黒字化を一年でやってのけた澤田秀雄さんもそうだ。再建を引き受けるときの交渉もそうであったが、その後の改善・改革のプロセスにおいても、実に“粘り”強い経営を展開している。だから、いろいろなアイデアが尽きないのである。
 
   では、“粘り”の本質とは何だろう?
 
①主体的である
   粘り強い人は、つねに主体的である。自分の意志で、何事も選択をしている。それ故に、目の前に立ちはだかる壁(悩み、惑いなど)に対して能動的に働きかけることができ、必ず乗り越えることができると確信しているのである。
 
②二律背反(対立や矛盾)を受け入れる
   世の中は二律背反、だから成長できる。それに立ち向かってこそ考える力を養うことができると信じている。「Aを取るか、Bを取るか」の択一ではなく、AとBの統合を粘り強く考えようとするのである。
 
③目的意識を持つ
   目的意識が明確であるから、一つの手段に捉われることなく、目的達成に必要な最良の手段を“粘り”強く試行錯誤し続けることができる。
 
  「結果を出すことを決意し、“粘り”強くやり続ける」“粘り強さ”を身上から信条として意識したいと考える。
 

今週の考える言葉「一期一会」

考える言葉

一期一会

   “一期一会”とは、茶道の心得として昔から広く伝わっている日本のことわざである。
 
   「一期」とは、仏教語で、人が生れて死ぬまでの間の意。「どの茶会でも一生に一度のものと心得て、主客ともに誠意を尽くすべきこと」をいうそうだ。一生に一度だけの機会。生涯に一回しかないと考えて、そのことに専念する意と、考えられる。
 
   それから、「袖振り合うも多生の縁」という故事がある。どんな些細な出逢いでも、深い意味があるのだから、大事にしようという趣旨だ。いずれも、仏教の世界観から生まれた故事・ことわざだと推測する。一言でいうと、「出逢いの妙」を表現しており、同義と考えてもいいだろう・・・。
 
   小生の母は、趣味が高じて茶道を教えているが、茶室の床の間には“一期一会”と書かれた掛軸が飾ってあったのをみて、「なるほど、“一期一会”か!」と妙に納得したのを思い出す。
 
   ずっと後になって、その意味を辞書で調べる機会があったが、その時に感じた通りの内容だったので、その言葉に日本の文化を感じた。
 
   “一期一会”の由来は、千利休の茶道の流れから生じて、茶会の心得として浸透していったのだろうと思うのであるが、ある本で次のような紹介があって、驚いたことを覚えている。
 
   「“一期一会”は井伊直弼の『茶湯一会集』のある言葉です」 江戸時代末期に井伊直弼が、自身の茶道の一番の心得として用いたことから、広く使われるようになったそうだ。「安政の大獄」の首謀者であり、「桜田門外の変」で暗殺されるという人物像とのギャップを感じたからだ・・・。
 
   今思うと、時代の大きな変革期において、「自らの使命とは、何か?」を思考し、自らの信念を貫いた結果なのだろうと思うようになった。水戸藩士の暗殺密謀の噂を聞いても動じることがなかったのもそのためであろう。
 
   改めて考えるに、“一期一会”は大事にしたい言葉である。どんな出逢い(人や場など)でも、最初の出逢いは“一期一会”かもしれない。でも、その“一会”に真心を込めてお付き合いした相手ほど、その後のつながりができて、深い関係性が生れているではないか。
 
   今身近にいる家族や友人、知人、職場などの仲間はすべて、最初の“一期一会”を大事にしたからこそ、長く続いている関係なのである。そう考えると、初めて会う人にはいつもオープンマインドで接し、誠心誠意を尽くし、その出逢いの妙に感謝したいと思う。
 
   縁起とは、因縁生起。因縁によって万物が生じ、起こるという。
過去を省みて、未来を思う、そして現在を大切に、真摯に生きたいと改めて考える。
 

今週の考える言葉「共存」

考える言葉

共存

   チャレンジには、少なからず自己犠牲が伴う。なぜなら、自らが慣れ親しんだ快適ゾーンを捨てざるを得ない状況が生じるからだ。
 
   仕事においても、そうだ。環境の変化が激しい今日、つねに新しい、未来の仕事をつくることへのチャレンジをしておかない限り、未来が描けなくなる。そのとき、最大の敵となるのが今抱えている仕事、つまり、日常業務なのである。
 
   現状における、自らの存在のベースであり、生活の糧として機能している日常業務と、どう折り合いをつければいいのか・・・。いろんな考えや思惑が生じる。当然のことながら、「迷い」が生ずる。
 
   以前に、「優れた経営者とは、現状に甘んじることなく、つねに問題(リスク)をつくりだしている人のことである」という話を聞いたことがあった。何も問題が浮かばないことこそ、真の問題だという。蓋し、名言である。
 
   経営者とは、つねに未来へのヴィジョンを描き続けることができる人である。その意味において、ここでいう問題とは日々に解決を迫られる目先の問題ではなく、「あるべき姿と現状との差」をいかに埋めるかという本質的な問題であるといえよう。
 
   多くの人たちが、日々の多忙やリスクを避けたいという理由から、「短期の楽観、長期の悲観」から脱却できないである。まさに、これがバブル崩壊後、ずっと日本を覆いつくしている問題の本質なのである。
 
   難しい問題の核心にはつねに、「二律背反性」ともいえる対立・矛盾する考え方がある。つまり、こちらを立てればあちらが立たないという二項対立の関係である。「Aを取れば、Bを捨てざるを得ない」という、どちらかを切り捨てるというやり方をすれば、手
っ取り早い解決にはなるのだが、根本的な解決にはなっておらず、もぐら叩きをやり続けるしかないのである。
 
   では、どうすれば根本的な解決を導くことができるのか?対立ではなく、“共存”を考えるのである。「あるべき姿」と「現状」を対立ではなく、“共存”関係で捉えるのである。「現状」とは、過去に何を思考し、行動したかの「結果」である。つまり、「現状」をしっかりと把握することによって、「結果」の「原因」が見えてくる。
 
   そうすると、「あるべき姿」を実現するために、どのような原因を取り除き、またどのような原因を整えればいいのか、明らかになってくるのだ。つまり、「あるべき姿」と「現状」をいかにバランスよくするか、つまり、“共存”させていくかが課題となる。
 
   「迷い」は未来の源泉である。択一による性急な結論ではなく、粘り強く“共存”の道を思考すべきである。
 

今週の考える言葉「人間関係」

考える言葉

人間関係

 『IG後継者育成塾(第4期第7講)』(H27.9.25~26 in福岡)を終えたばかりである。『リーダーで組織は生まれ変わる』というテーマに基づいて、二日間じっくりと経営の本質について考えて頂いた。
 
 組織の重力となるべきリーダー(後継者)にとって最大の課題は何か・・・?それは、何といっても“人間関係”を、どう構築するかであろう。しかし、“人間関係”で悩んでいる後継者は意外と多いのである。しかも、驚くべきことに、現社長である父親との意見の対立、そして古参幹部との“人間関係”がしっくり行かないという悩みが圧倒的に多いのである。
 
 “人間関係”における悩みの原因は、大きく二つあると考える。
 
 一つは、組織風土の問題。良い組織の成立条件が欠落しているのだ。理念・目的が明らかにされておらず、浸透していない。ゆえに、働く人間の貢献意欲を引き出し切れていない。その結果、“人間関係”に必要な良好なコミュニケーション機会が生まれていないのである。
 
 もう一つは、後継者の価値観レベルの問題。知識教育に偏っていて、価値観学習をしていないので、真の主体性が確立されておらず、自分にとって都合が悪いことはすべて環境のせいにしてしまい、“人間関係”を構築できないでいるのである。
 
 組織と個人という視点から原因を二つに分けてみたが、共通していえるのは、いずれも「何のために」という目的思考の欠落にある。仕事の目的を特定しないまま、手段ばかりに気が入ってしまっているので、お互いの関係性が見えず、よって主体性も発揮することもできないのである。
 
 “人間関係”が組織の生産性に大きく影響しているのは、ドラッカーの指摘するところでもある。
 
 「“人間関係”の能力をもつことによって、よい“人間関係”がもてるわけではない。自らの仕事や他との関係において、貢献を重視することによって、よい“人間関係”がもてる。こうして“人間関係”が生産的となる。生産的であることが、よい“人間関係”の唯一の定義である」(『経営者の条件』)。
 
 “人間関係”は、ハウツーやテクニックに左右されるのではない。仕事の場において、お互いがその目的を理解し、貢献し合う考え方を培うことによって生産的な場は生まれ、よい“人間関係”が生じるのだという・・・。非生産的な場には、必ず“人間関係”の乱れがある。生産性は組織の存続に関わる問題である。
 
“人間関係”の問題は、個人にだけ委ねるのではなく、組織全体の問題として考えるテーマだといえよう。
 

今週の考える言葉「自覚」

考える言葉

自覚

 2000年からスタートしたNN構想の会、やり続けているうちに 16年になる。会を重ねるごとに、次のような質問を受ける機会が増えるようになった。
 
 「どんな思いからNNの活動をやり続けているのか?その動機は何か?」
 
 質問する側もいろいろな意図があってのことだと思うが、質問を受ける小生にとっても一言で表現できるほど単純ではない。やり始めた初期の段階と今とでは、やはり動機も思いのレベルも相当違う・・・。
 
 自分のやりたいこと、好きな仕事に専念しているうちに、それに関連する様々な出逢いが生じ、一つの場が生まれる。その場に感謝し、場のレベル向上のために頑張っているうちに、いつの間にか周囲の人から引き立てられ、その立場を演じている自分に気づかされる。どちらかというと、強烈な意図があってというよりも、自然の流れの中で、その役割を演じているうちにその気になっている自分がいるのだ。
 
 それにしても何故、やり続けているのか・・・?それは、“自覚”であろう。“自覚”とは、読んで字の如し。自らを悟(=覚)るということだ。つまり、「この役割は、自分が演じなくて誰が演じるというのか!」という、自分自身の問題意識なのである。
 
 「やり続けている動機は何か?」という問いの答えは、一言でいうと「“自覚”でしょうね!」ということになる。だが、“自覚”に至るまでのプロセスは上記の通りである。“自覚”に至ると、思いや動機のレベルが明らかに変わる。使命観や責任観ともいえるものだろう。
 
 もちろん、やりたいこと、好きなことをしているという意味においては何ら変わりはないのだが、この場に関わっていてくれる人たちがどのような成果を得ているのか、またその場が環境に及ぼす影響力は如何ほどのものなのだろうか等々、自分を超えた全体の様子が気になってくるのである。恐らく、それが“自覚”なのだと思う。
 
 「“自覚”とは、その人のパワーの源泉である」ともいえる。日蓮上人は、自らを上行菩薩の生まれ変わりであると“自覚”し、「法華経の行者、日蓮」という使命観に目覚めたという。そして、その“自覚”をもって自らの生涯を通して演じきったのである。
 
 ずい分以前に読んだ書籍の中に、『「原因」と「結果」の法則』(ジェームス・アレン著)という本がある。その本の一節に、「私たちは、自分の考えているとおりの人生を生きている」とある。また、「人間は思いの主人であり、人格の製作者であり、環境と運命の設計者である」とある。
 
 どんな“自覚”を持つのかによって、私たちは自らの環境を呼び寄せているである。そして、自分の思う通りの人生を演じている。自作自演、それが人生なのである。
 

今週の考える言葉「NN大会」

考える言葉

NN大会

   本当にお陰様で『NN構想の会・第16回全国大会』(9月10~11日)を、今年も椿山荘(東京)で開催することができた。
 
   大会の常連さんは勿論、初めて参加頂いた方々にも、NN構想の趣旨を理解して頂いた上で、16年以上もやり続けていることへのねぎらいや激励の言葉を頂戴し、改めて覚悟を決めた二日間であった。(感謝!)
 
   さて、今年の大会テーマは『“生産性の向上”~会計人よ、賢く働こう!』である。
一過性ではない、構造的な変化(パラダイムシフト)が起きている今日、もはや、朝から晩までがむしゃらに働けば成果が出るという時代ではない。「マネジメントとは、組織をして生産的にならしめるもの」(P・F・ドラッカー)という言葉があるが、「賢く働く」ということは、いかに自らの仕事をマネジメントできるかどうかであろう。
 
   大会一日目は、千本倖生氏を招いての基調講演『これからの時代の経営思想』から始まった。氏が、稲盛和夫氏を説得して、第二電電(DDI)を創業したのは31年前(1984年)、その後もイー・アクセスやイーモバイルを創業し、日本の通信業界に風穴をあけた風雲児として有名だ。
 
   以前に『挑戦する経営~千本倖生の起業哲学』(経済界)という氏の著書を読んでいたので、凄い人がいるものだと感心し、尊敬をしていたが、生の講演は淡々とした口調ではあるが、聴く人を魅了してしまう迫力がある。幾多の苦難を乗り越えてきた実業家の実践に裏付けられた一語一句だからであろう。
 
   「いかに賢く会社を立ち上げ、運営するか・・・。そのためには、世界がどう動いているか、時代を読むキーワードに関心を持とう」 「企業はミッションを達成したとき、腐敗が始まる。大改革のメスを入れる、凄さを伴った心意気が必要だ。・・・階級社会を壊す。現場に足を運ぶ・・・」 「進化には、健全で、強烈な競争相手が必要だ」 「稲盛さんと私の遭遇、そして“一緒にやろう”という決断がなかったら、今のKDDIはなかっただろう」「始めた以上はやり続けること・・・。いばらの道、千尋の谷を飛び越えると、三倍の強化が生れる」
 
   パラダイムシフトの時代を生きる、私たち企業人にとって大切な心意気や目標設定やディシジョンメイキング、さらに実行の大切さを示唆して頂いた講演であった。そして、人生の運とは「人との出逢い」と「その後の関係性の構築」によって動いているのだと感じさせられた一日だった・・・。改めて、千本倖生氏に感謝の意を表したい!
 
   講演のあとに続く、パネルディスカッション、情報交流パーティ、そして二日目の分科会の内容については、次回に紹介したい。
 

今週の考える言葉「会計」

考える言葉

会計

   東芝の不正会計が社会的な話題となっている。
 
   いわゆる粉飾決算である。過去にもカネボウや山一證券の巨額粉飾、そしてライブドアでは堀江貴文氏は逮捕され、上場廃止に追い込まれた・・・。そうそう、アメリカではエンロンの粉飾が発覚し、その後、倒産。ざっと思い浮かべても、意外と不正会計に手を染める経営者が多いのに驚かされる。
 
   粉飾の手口は、複雑そうに見えても、大きくいうと「売上の先取り」「費用の先送り」そして「全くのでっちあげ」と3つのパターンに分けることができよう。でも、組織ぐるみでやられると、その道のプロである監査法人といえども、見抜けないのだろうか・・・。
 
   さて、なぜ、経営者は粉飾の罠に嵌ってしまうのだろうか?粉飾とは、見栄えがいいように装うということであるから、見栄と責任逃れからであろう。きっかけは業績の悪化から資金難に陥ることを恐れてのことだろう。
しかし、“会計”処理において、他人の目をだませたとしても、自分をだまし続けるわけにはいかない。だましても、業績は良くならないのである。
“会計”には、企業の利害関係者へ報告をすることを目的とした制度会計(=報告会計)とは別に、経営者の意思決定をサポートすることを目的とした管理会計(=意思決定会計)という領域がある。これは、経営のための“会計”である。
 
   IGグループでは、後者の“会計”領域を未来会計と呼び、その領域を事業化するためのビジネスモデルをMAS監査と名付け、20年前から税務と並ぶもう一つの事業の柱として展開している。
 
   私たちは、「未来会計とは、経営者の意思決定をサポートし、持続可能な未来を構築するための“会計”の体系(Accunting Manegement System)」と定義している。“会計”の本質をリスク計算と捉え、それをベースに目標管理を徹底して実行できる組織風土を培っていくお手伝いである。
 
   “会計”の目的をそのように考えると、“会計”は経営に役立つようにシステム化し、日常における“会計”処理は、「正確かつ迅速」であることがモットーとなる。そして、そのようにして作成された“会計”データをベースに経営判断をし、決定されたことを実行に移せるように計画を立てる。そして、結果の検証を行い、次の計画へとフィードバックしていくのである。その徹底で、80%以上の会社が黒字化できている。
 
   京セラの稲盛和夫会長がいう、「“会計”が分からんで経営ができるのか」という“会計”とは、まさに未来会計のことである。
 
   他人の目を気にする前に、自らの経営改革のため、正直な“会計”を考えよう!
 

今週の考える言葉「角度」

考える言葉

角度

  アルバムを眺めていると、その人の魅力的な表情を瞬間にとらえているような一枚の写真に出逢うときがある。実に絶妙なシャッターチャンスだと思うと同時に、アングルというか、捉える“角度”がいい・・・。
 
   プロのカメラマンの特徴は“角度”の捉え方にあるというが、私たちの人生や経営においても、“角度”の捉え方によって思考や行動が大きく変わる。
 
   例えば、会計学を実務に活かすときもそうである。どのような“角度”で会計学を見るかによって活かし方が変わってくる。つまり、税務署への申告を目的とした会計と、経営者の意思決定のサポートを目的とした会計では、会計システムの構築や処理の仕方が変わってきても当然である。
 
   「会計がわからんで経営ができるのか」というフレーズで有名でもある『稲盛和夫の実学~経営と会計』という本の中で、氏が次のようなエピソードを述べている。
 
   自分が経営の立場から予想したものと実際の決算の数字とが食い違うので、「それは、なぜか?」と問うが、「会計的にはこうなる」という教科書的な返事しか戻ってこない。「6年でダメになる機械を法定耐用年数の12年で償却費計上するのか?」「儲かっているのに、税金や配当を支払うのに借金をするという。儲かったお金はどこにあるのか?」 経営の基本にしっかりと寄り添ってこそ会計の本質ではないかと・・・。
 
   さすがである。「売上を最大に、経費を最小に」「値決めは経営である」「土俵の真ん中で勝負をする」「勘定合って銭足らず」などの考え方をベース、“角度”にして、経営に役立つ京セラの管理会計システムを構築していったのである。
 
   人生も同じだと思う・・・。「人生は出逢いである」といわれるが、どのような“角度”で出逢うのかによって、その後の関係性のありようが大きく変わってしまうという経験を多かれ少なかれ、持っているのではなかろうか?
 
   社内でも起こる人間関係の軋轢・・・。どんなに嫌な相手、その人にも愛し合う家族があり、友人の輪がある。ちょっと“角度”を変えてみると、その人のいい所が見えてきそうな気がする。
 
   職場という組織(全体)は、それを構成しているメンバー(部分)の集合体である。部分と部分との関わりという“角度”だけに執着してしまうと、食い違いばかりが目に付いてしまう。だが、全体という“角度”からお互いの関係性を見直してみると、何かもっと大きな計らいがあっての出逢いを感じることができるのではないだろうか。
 
   「人間は一本の葦にすぎない。・・・だが、それは考える葦である」 有名なパスカルの言葉である。捉われず、いろいろな“角度”から考えていきたい。
 

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