古田会計事務所

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今週の考える言葉「誉める」

考える言葉

誉める

   自ら経営をして、34 年になる。やはり、経営で一番難しい課題は人をどうあつかうかではないだろうか・・・。
 
   昔から、人材育成論に「“誉める”育て方と“叱る”育て方どちらがいいのだろうか?」という課題がある。その優劣を決める前に、経験上、叱るのは簡単だが、“誉める”のは難しいと感じている人が多いのではないだろうか・・・。
 
   何故だろう?上司が部下を見るとき、どちらかというと、欠点や悪いところのほうへ、長所や良いところよりも、目につきやすいからだ。
 
   それに、上司が部下を変えたいと思うときは、その人の言動に悩まされているときである。だから、会話がいきなり問題に対する注意から始まる。相手からすると批判されることから始まる。
 
   では、相手の反応はどうだろう?
 
   “誉める”と、必ず笑顔が戻ってくることが多い。笑顔はポジティブな雰囲気をつくり出す。お互いの共感性は高まり、場のモチベーションが高まっていくことは間違いない。では“叱る”と、どうだろう?相手は顔をこわばらせ、沈黙してしまう。口に出さないまでも、目が睨んでいる。ネガティブな雰囲気が漂い、反感だけが残り、やる気が失せてしまうことになるだろう。
 
   こう考えてみると、“叱る”より“誉める”ことの方が、効用的にずっと大きいのは明らかなのだが、なぜ“誉める”ことに専念できないのだろうか?
 
   よく聞くのが、「“誉める”とすぐに図に乗る」という言葉がある。確かにそんな傾向の人もいるが、単におだて上げるのではなく、“誉める”という行為にはそれなりの努力が必要だし、ルールがあるような気がする。
 
   人は誰にも、良いところがあれば悪いところもある。できるだけ人の良いところに目がいくように、日頃から意識して、訓練しておく必要があるだろう。
 
   特に、怒りぽい経営者は意識して訓練した方がよい。なぜなら、“誉める”ことによって生じる場の共感性は、業績の向上と極めて連動しているという研究レポートがあるという。
 
   それから、おだてる行為と“誉める”行為は、本質的に違う。“誉める”行為は相手に対する敬意の表現であり、良いところをさらに伸ばしてもらいたいという成長への期待である。
 
   人を“誉める”という行為は、正直で、心からの言葉でなければならない。自らの価値観のレベルを高めることで、真に“誉める”という行為が身につくのであろう。
 

今週の考える言葉「やり抜く」

考える言葉

やり抜く

   小生の口癖・・・、「成功の秘訣は、結果が出るまでやり続けること!」 当然のことであるが、途中で諦めた人は、絶対に成功の歓喜を味合うことはできない。それは、過去の失敗から学んだ有難い教訓である。
 
   若い頃、苦境に立つと誰彼となく口にした言葉に、「Never give up!(絶対に諦めるな!)」がある。今考えると、最後まで”やり抜く”ことの重要性をお互いに叩き込み、叩き込まれていたのだと思う。
 
   IG会計グループでは、未来会計の考え方をベースにした「IG式目標管理システム」を徹底活用しているが、やはり成功の鍵は”やり抜く”に尽きる。つまり、一度決めた目標は、どんなことがあっても、知恵と汗を振り絞って”やり抜く”というマインドが大事だと思う。
 
   前回テーマとした”マインドセット”(心構え)にも通ずることだ。とに角、まずは、一人ひとりが最後まであきらめずに”やり抜く”ことだ。
 
   そして、組織においても、各人が”やり抜く”ことを組織風土として培い、習慣化できるようにフォローアップする体制づくりが必要だと考える。IG会計グループでは、報連相の徹底、進捗管理の仕組み、動機づけなどを、互いに意識し、重要視するようにしている。
 
   では、”やり抜く”ために必要な心掛けとは・・・。
 
   ① 先ずは、価値ある目的であるかどうか。
   「何のために・・・」を問う。やろうとしていることは、社会性の高い(自利自他的)価値ある内容か?”やり抜く”のは個人の意志力の強さであるが、それを支えるバックボーンに社会的な意義性が必要である。
 
   ② 熱意と信念は十分か。
   自らが心から楽しんでやりたいことなのか。心底、楽しんでやっているからこそ情熱が生まれ、周囲の人たちの共感・共鳴も得られ、協力者も生まれ、衆知を集めることができる。
 
   ③ 行動に結びついているか。
   ToDoリストが明確に描かれ、やることがはっきりしているので、日々の行動に結びついている。だから、「自分はできる」という確信をもって、揺るぎない行動が生まれる。
 
   “やり抜く”ことが、なぜ重要なのか?
 
   その背景には、独りよがりではなく、その社会的な意義をしっかりと考え抜いた人において、培われるマインドがある。
 

今週の考える言葉「マインドセット」

考える言葉

マインドセット

   先週末(6月15~16日)、『新ビジネスモデル研究会』(NBM第17期⑤)を終えたところである。今回のテーマは「組織論」で、「人材」について考える機会でもあった。
 
   NBMは、『NN構想の会』主催のもと、2003年からスタートして今年で第17期を数え、参加者数も延1000名を超えている。当研究会の趣旨は、「会計人は社会的インフラである!」という理念のもと、参加者同士が互いに切磋琢磨し、時代のニーズに応えられるように、職業会計人として自己革新し続けることを目的としている。
 
   どんな研究会(=学習組織)においてもいえることだと思うが、参加を機会に著しく成長する人もいれば、変化がみられず、日常性に埋没してしまう人もいる。同じ機会を得ながら、格差が生じてしまう・・・、悩ましい問題である。
 
   同じ環境に身を置きながら、なぜ格差が生じるのか?
 
   その一つの重大な原因として、”マインドセット”(心構え、基本精神)にあるのでないか。「会計人は社会的インフラである!」という強い自覚のもと、生産性の高い、稼ぐ人間に生まれ変わり、組織貢献あるいは社会へ大きなインパクトを与える存在になりたいという、ベースとなる”マインドセット”を身につけているかどうかだと考える。
 
   「成功の秘訣は何か?」と問われると、必ず「成果が出るまでやり続けること!そのしぶとさだ・・・」と答えるようにしているが、やり続ける覚悟、そのための”マインドセット”が必要だ。ビジネスで(人生においてもそうであるが・・・)成功するためのベースとなる”マインドセット”は、どうすれば身につくのだろうか・・・?
 
   ① すべては目的からスタートする(目的思考)
   恐ろしいのは手段の目的化に陥ることである。常に、「何のために」を問う。
 
   ② 全体の流れ(一連のプロセス)を俯瞰する(全体思考)
   部分にとらわれず、全体最適をつねに意識する。
 
   ③ 仕事の段取りを描く(逆算思考)
   重要度×緊急度のマトリックスを活用する。
 
   ④ 協働行為で組織を活かす(関係性思考)
   お互いの強みを生かし合い、自らの強みに集中する。
 
   ⑤ 「仮説~実践~検証のサイクル」で勝利の方程式を確立する(仮説思考)
   真のプロは仮説から始める。そして、仮説が真説に変わる。
 
   「価値ある目的を描き、その達成を心から信じ(信念)、行動し続ける」その”マインドセット”をつくるのは自分自身である。さて、あなたはどんな”マインドセット”で、毎日を生きていますか?
 

今週の考える言葉「ドラマ」

考える言葉

ドラマ

   「人生は、“ドラマ”である」 いろんな人からいろんな場面で見聞きしてきた言葉の一つである。
 
   最近、ある会合があったとき、この言葉が脳裏に浮かんで「この会合に集う我々はどんな“ドラマ”を演じようとしているのか?また、世の中にどんなインパクトを与えたいと考えているのか?」と自問・自省していた。
 
   “ドラマ”(Drama、劇)とは、ギリシャ語のドラン(行動する)に由来するらしい。人生には様々な出来事がつきものだが、進むべき方向は自分で選択できる。人は皆、自らの思考と行動で、“ドラマ”を演じることができるのである。
 
   では、我々はどのような“ドラマ”を演じようとしているのだろうか?自らの人生を通して、世の中の進化にどんな貢献ができるのだろうか?どのようなストーリーに命を賭けようと覚悟をしているのだろうか?
 
   我々会計人だったら、会計という仕事を通して、世の中の発展に貢献したいと考えるだろう。ただし、すでに慣れ親しんだ快適ゾーン(制度会計)にとどまっていては、貢献にも限界がある。
 
   では、どうすれば、より大きな貢献を行動につなげるような“ドラマ”をつくり、目的を実現できるのであろうか?
 
   ① 先ずは、視点を変えてみることだろう。世の中は常に変化している。その変化によって様々なリスクが生じている。多くの中小企業が赤字や後継者難に苦しみ、倒産や廃業を余儀なくされているという・・・。
 
   倒産という悲劇を世の中からなくすことに貢献できる会計と何か?もっと経営者の意思決定に役立つ会計を体系化し、提供することができたら・・・、その視点から生まれたのが未来会計というサービスである。
 
   ② 次に、もっと壮大な“ドラマ”にするためには、何が大切か?それはいうまでもなく、共演者との絶大な協力関係であろう。共感・共鳴してくれる人がいて初めて、目的の実現が可能となる。同業者は戦う敵ではなく、壮大なドラマの共演者である。
 
   ③ そして、そのドラマを演じるためのシナリオづくり、舞台装置や小道具をどう整えるのか(ビジョン、戦略、戦術など)。それらを準備するための一日として、「将軍の日」を定期的に開催している。
 
   経営とは、三つの戦い(組織、環境、変化)をしている。人生とは、戦いの“ドラマ”でもある。時流を見極め、かつ独自性のある“ドラマ”を創造できないだろうか。
 
   どのような“ドラマ”を世に問いたいのか。常に自問・自省する機会をつくろうと思う。
 

今週の考える言葉「頭でっかち」

考える言葉

頭でっかち

   学生の頃に、”頭でっかち”という言葉をよく耳にする機会があったが、もうずっと忘れていたような気がする。先日、ある人から次のような示唆があって、”頭でっかち”という言葉が記憶の中から、ふと蘇ってきた。
 
   「会計人って、数字のプロですよね・・・。財務分析の手法も知っていて、分析報告書もつくれる。ただ、それを活かしてビジネス提案をして、コンサルティング業務に結びつけている人がどれだけいるのかというと、疑問ですよね・・・」
 
   鋭い指摘だと思う。知的サービス業である以上、専門的知識の習得は大切な仕入業務であり、それを怠るようでは論外である。問題は、それらをうまく活用し、顧客に喜んでもらえるように価値化できるかどうかである。
 
   「知は行の本たり。行は知の実なり」(『覚悟の磨き方』超訳吉田松陰)という言葉がある。王陽明の『知行合一』と同義だと考えるが、「思考して、行動してこそ価値が生じる」という意味であろう。
 
   知識の習得は手段であって、この活用の先に目的がある。つまり、「何のために学ぶのか?」をつねに自問自答する必要がある。
 
   「あるべき姿(理想、志、目的)を明確に描き、現状との差を明らかにする」。そして、その差(=課題)を埋めるために何を学び、身につける必要があるのか(手段)、この手順を踏んでいる人は、”頭でっかち”にはならない。なぜなら、目的と手段が合致しているからである。
 
   IGグループでは、「学後の実践」を心掛けるように意識している。セミナーや研修に参加して学ぶことも大切であるが、もっと大事なことはお客様に喜ばれるように仕事に活かせるかどうかである。
 
   『覚悟の磨き方』の本を読み進んでいると、松陰の次のような言葉に出逢った。
 
   「知識は、過去のこと。行動は、今これからのこと。したがって、行動を起こす前には、まず知識を疑うこと」
 
   まさに、これこそ胆識力を磨くベースとなる発想だといえよう。
 
   アンラーニング(学習棄却)という言葉はあるが、知識の入れ替えはいつの時代においても大切なことである。特に、”頭でっかち”の人間にとっては、デッドストックだらけの自分を自覚することから始めるべきだ。
 
   歳をとると、物忘れが激しくなる。その原因の一つは、タンスの引出しの中ように、ムダな知識を詰め込んだからだという。
 
   “頭でっかち”だと行動が鈍る。日頃の整理整頓が肝要である。
 

今週の考える言葉「期限」

考える言葉

期限

 
   仕事には、すべて”期限”がある。その”期限”にいつも追われている人もいれば、余裕をもって前倒し処理をしている人がいる。それが、2通りにきれいに分かれてしまうから不思議だ・・・。
 
   だが、その原因は実は明白である。つまり、”期限”に対して受動的になっている人と能動的になっている人の差である。
 
   受動的とは、「自分の意志からではなく、他に動かされてするさま」をいい、能動的とは、「自分から他へ働きかけるさま」という意味である。能動的な人とは、仕事の”期限”を守ることの重要性を強く認識しており、信頼関係のベースだと考えている
 
   私たち職業会計人は、日常的に、税務申告など法定”期限”に追われる仕事をしているが、不思議なことに、どんなに仕事を抱えてバタバタしていても、その”期限”がくるとちゃんと終わらせてしまう。だったら、一日前に済ませるのも可能だったはずだと思うのであるが・・・。
 
   仕事をすすめるにおいて重要なことは、他との関係性にある。すべての”期限”は、他との約束事であるといえよう。だとすれば、”期限”ギリギリの仕事をしているとすれば、相当に気を揉んで、イライラしている他人がいるのではないだろうか。
 
   いつも”期限”に追われ、受動的になっている人の特徴をイメージしてみた。
 
   ① 物事の優先順位を決めきれず、目先の仕事に意識を取られてしまう。
 
   ② 時間の感覚がなく、感情に流されやすい。
 
   ③ 計画性に欠けて、プロセス管理ができない。
 
   ④ 自己中心的なタイプで、報連相ができていない。
 
   ⑤ 面倒くさがり屋のタイプで、細かいことの積み上げができない。
 
   他にもあると思うが・・・。
 
   仕事の本質は、他との関係性にある。仕事の相手に気を揉ませるようなギリギリの仕事をしていては、衆知も集めることもできないし、質の良い仕事ができるはずがない。結果、非生産的で、人間関係も損なうことになるだろう。
 
   では、どうしたらいいのだろうか?
 
   ① 先ずは、”期限”の前倒しを意識すること。(能動的”期限”を決める。納期の三分の一を目指す)
 
   ② 自分の職責よりも上の目線で仕事をする。(全体と部分の関係性が見える)
 
   ③ 関係者に対する報連相の徹底を行うこと。
 
   これらは、仕事のできる人の特徴であるといえよう。
 

今週の考える言葉「人間像」

考える言葉

人間像

   卓越した人物と出逢う度に、自らを省みる機会を頂くことが多い。自分なりに修めてきたはずの”人間像”にゆらぎが生じる瞬間でもある。
 
   「七十にして心の欲する所に従いて矩(のり)を踰(こ)えず」と、孔子は自らの人生を述懐し、自在の境地を語っている。いつの間にか、その年齢に到達しつつある自分の心境はというと、いささか心許ない感じだ。
 
   GWの間は、人間学に関する書物を中心に再読しながら、ゆったりした時間を過ごせた。お陰で、自省と共に、新たなエネルギーを蓄えることができたような気がする。
 
   『老子の人間学』(守屋洋 著)という本の中で、老子が思い描く理想の”人間像”について説明してある箇所があったので紹介したい。
 
   一、氷の張った河を渡るように、慎重そのもの(一か八か危険な賭けはしない)
   一、四方の敵に備えるように、用心深い(隙がない)
   一、客として招かれたように、端然としている(顔つき、態度、姿勢の問題)
   一、氷が解けていくように、こだわりがない(わだかまりがない)
   一、手を加えぬ原木のように、飾り気がない(一本芯が通っていて飾り気がない)
   一、濁った水のように、包容力がある(清濁併せ呑む)
   一、大自然の谷のように、広々としている(心の広さ)
 
   「道」を体得した人物は、底知れぬ味わいがあり、その深さを測り知ることができず、説明のしようがないのであるが、あえて形容すると、こうなるのだという。
 
   学生の頃に出逢った『老子』の思想・・・。倫理道徳的な、孔子の『論語』とは違って、
 
   どこか厭世的で分かりづらかったが、何度か読み直していくうちに、「強かで、しなやか、そして逞しい、乱世を生き抜く知恵のようなもの」があり、自分の価値観(=思考の枠組み)が崩れていくのを感じた瞬間であった。
 
   『老子』と言えば、「無為自然」「和光同塵」「上善如水」「大器晩成」「無用の用」など、もうすでに有名な言葉が見事に概念化されて随所に出てくる。つい時間を忘れて、はまってしまう書物である。
 
   その中でも、ずっと座右の銘にしてきたのが「無為自然」という言葉だ。ただ無為に時間を過ごすという意味ではない。「何もしないことを為す」という積極的な意思をもった生き方である。人為が過ぎると自然を害する・・・。一歩退いて考えてみる。
 
   「負けるが勝ち」「損して得をとれ」「柔よく剛を制す」などの格言も、『老子』の思想から学んだ強かで、しなやかな知恵なのではないだろうか。
 
   改めて、理想の”人間像”を考える時間をもてたGWの期間であった。
 

今週の考える言葉「ミーティング」

考える言葉

ミーティング

 
   C.バーナード(1886~1961年)は、「組織とは協働行為の体系である」と定義付けし、その成立の3条件として、① 目的の共有、② 貢献意欲、③ コミュニケーションを掲げた。
 
   この考え方は、組織をマネジメントする立場にいる人間だけでなく、組織人として生きている現代人のすべてが、しっかりと学んでおくべき原理原則の一つではないかと考える。
 
   今、日本の企業(=組織)の生産性の低さが問題となっている。この問題に触れる度に、P・ドラッカーの次の言葉を思い出す。
 
   「人間関係の能力をもつことによって、良い人間関係がもてるわけではない。自らの仕事や他との関係において、貢献を重視することによって、よい人間関係がもてる。こうして人間関係が生産的となる。生産的であることが、よい人間関係の唯一の定義である」(『経営者の条件』)。つまり、生産的でないということは、人間関係においても問題が生じているのではないかと・・・。
 
   さて、社内でのコミュニケーションを円滑にする手段として”ミーティング”がある。”ミーティング”に関しては、一長一短の様々な意見があるようだが、その存在の当否を争うのではなく、いかにあるべきかという内容の問題を議論すべきである。
 
   “ミーティング”を行う目的とは何か?基本的に2種類の”ミーティング”がある。
 
   ひとつは、「進捗管理のための”ミーティング”」である。各部署や個人が掲げた組織への貢献目標がどの程度進んでいるかを確認するためのもので、定期的に行われる必要がある。
 
   マネジャーはその状況に応じて、適切な指導や情報の提供を具体的に行い、フォローをしなければならない。IGグループでは、IG式目標管理の手段として、朝礼、週末の部門会議、月末の全体会議などを定期化し、実施している。
 
   もうひとつは、「目的共有のためのミーティング」である。協働行為の体系である組織の存在そのものに関わるような内容について、組織全体で共有すべきときに、随時開催されるものである。
 
   かつて、京セラの稲盛和夫氏は、コンペと称して酒を酌み交わしながら、自らの経営哲学を語り、京セラで働くことの意味と価値を熱く語ったそうであるが、それも「目的共有のためのミーティング」の機会だったのだと思う。
 
   確かに、”ミーティング”は多くの人の時間を拘束する。しかし、コミュニケーションの大事な時間であり、手法である。つねに運営の在り方を創意工夫すべきであろう。
 

今週の考える言葉「視点」

考える言葉

視点

   “視点”とは、物事を見たり、考えたりするときの目のつけどころや観点をいう(類語大辞典)。
 
   よく、「”視点”を変えて考える」とか「相手の”視点”に立つ」などという使い方をすることがあるが、仕事に限らず、人生においても、極めて重要なことだと心得ている。”視点”という言葉には、次の二つの意味で用いられているようだ。
 
   ① どこを見ているかという、注視点のこと。
 
   ② どこから見ているのかという、立脚点のこと。
 
   いつの時代においてもなくならない「嫁姑問題」を例に少し考えてみよう。
 
   昔の嫁姑問題は、嫁いできた嫁が夫の両親のところで同居して、姑から嫁の分際を弁えていないと”視点”(=立脚点)から、自分の嫁いできた時の苦労話を聞かせながら、「苦労が足りない!」と虐められるケースだ。
 
   今の嫁姑問題は、同居していないのに、息子可愛さに、嫁の妻としての至らなさの視点(=注視点)から始まり、嫁の両親の悪口まで言い出すという。息子(嫁の夫)に聞くと不自由を感じていないはずなのに、ホントは嫁の態度が気に入らないのだ。離婚騒動にまで発展するというから恐ろしい・・・。
 
   結婚というのは、元来、育った環境(土壌)が違う二人が出逢い、結ばれて、新しい家庭を築く営みだから、お互いの価値観を共有し合い、統合されていくのに時間がかかるのが当たり前・・・。
 
   お互いが、相手の立場に立って、相手の尊敬できるところに”視点”を置くことを心掛けなければ、いい関係性ができるはずがないと思う。それこそ、”視点”を間違えないようにしないといけない。
 
   さて、仕事においても、”視点”の置き方は成果に大きな影響を及ぼす大切なテーマである。
 
   一生懸命に仕事に精を出しながらも、大きな成果を挙げる人とそうでない人がいる。
 
   その原因の多くは、”視点”にあると考える。
 
   ① 自分の仕事に対する努力の方向性は、協力し合う相手の”視点”と合っているのだろうか。
 
   ② その仕事の目的という”視点”から思考し、行動しているのであろうか。
 
   ③ つねに、全体と部分との関係性という”視点”から見直し、独りよがりにならないように配慮しているだろうか。
 
   そして、現在と未来とのバランス思考の”視点”も心得たいと考える。
 

今週の考える言葉「伝統」

考える言葉

伝統

   “伝統”って何だろう?
 
   日本の“伝統”的な国技の一つである大相撲・・・。貴乃花問題や人命よりも「女人禁制」という“伝統”的なシキタリを最優先する場内アナウンスなどで、何かと物議を醸し出しているが、改めて“伝統”とは何かを考えてみたい。
 
   小生が高校時代に過ごした学校は、藩校の流れをくむ学校として知られ、歴史と“伝統”が色濃く残っていた・・・。「“伝統”に恥じないように!」「“伝統”を汚すような行為をするな!」など、“伝統”を口にすれば、問題はすべて解決できるような雰囲気があったくらいである。
 
   では、その当時に口にしていた「“伝統”って何か?」と問われると、確かに感じてはいたものの、それが何かというと言葉にできない。ただ、折にふれて、伝統に恥じないように思考し、行動していたような気がするのだが・・・。その証拠に、校訓であった三綱領は今でも覚えている。
 
   「正倫理、明大義。重廉恥、振元気。磨知識、進文明」
 
   伝統的な形としてのバンカラ風な生き方は、懐かしくはあるが、今はこだわりとしてはない。でも何となく自分の一部のような気がする。
 
   改めて問う、“伝統”とは何か?
 
   それは「土壌」ではないだろうか。自分自身の心を高め、魂を磨くのを培ってくれる「土壌」のような気がする。“伝統”という土壌からしっかりと養分を吸収して、価値観が形成され、その価値観にもとづいて思考し、行動する。そして、いろいろな出逢いを経験し、その時々の花を咲かせているのだろう。
 
   その花はいずれ散り、朽ちて、新たな土壌の養分となる。そして、土壌は明らかに改良され、質を変えているのである。つまり、“伝統”も同じで、進化し続けることによって、いつもでも継承されていくのだろう。
 
   以前に読んだ本の内容を思い出した・・・。柳生新陰流は、なぜ時代を超えて継承されているのだろうか?それは千変万化の剣さばきにあるという。「人を活かす剣」という崇高な思想のもと、変化し続ける剣だからこそ、時代を超越するのだという。
 
   “伝統”という土壌の本質は、基本的には変わらないと思うが、その養分を吸収して成長する価値観は、その時々の状況において色々な花を咲かせては散り、成長を重ねていくのではないだろうか。
 
   何事においても、つねに本質を見失わず、臨機応変に対応して、仕事をしていけるように精進を重ねたいと、改めて思う。
 

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